キンブルはジェラードに追われる身でありながら、妻殺しの現場から立ち去った片腕の男フレッド・ジョンソン(ビル・ライシェ)を追いかけます。
 この男は風貌怪異ですが、広いアメリカ合衆国、なかなか見つからない。
 ようやく見つけても、あと一歩のところで取り逃がします。キンブルを見るとおどおどして逃げるその姿は限りなく怪しい。
片腕の男①   
 キンブルが逃亡生活をはじめて4年ほど経ったある日、ロサンゼルスで片腕の男が強盗を犯して逮捕されたとのニュースが流れました。
 それを見てキンブルはロスへ向かいますが、片腕の男はすでに何者かの手によって保釈されていました。
 しかしこれは罠でもありました。キンブルは待ち構えていたジェラード警部に逮捕され、列車で護送されます。行き先は郷里のスタッフォード。
     
 キンブルはここで意外な事実を知らされます。
 片腕の男を保釈したのは近隣の男でした。
 「なにかある」。
 その疑問はジェラードも同じでした。
 キンブルはジェラードに24時間の猶予をもらい、男に会いに行きます。
 
 この男は事件の目撃者なのですが、ベトナム戦争の後遺症で精神を病み、証言に立ちたくないばかりに片腕の男を保釈したのです。キンブルの証言要請も断わります。
 しかし片腕の男の居所はわかりました。遊園地です。
片腕の男②     
 キンブル、ジェラード、目撃者の男はそこへ向かいます。
 そして片腕の男を鉄塔の上に追い詰め、妻殺しを自白させますが、男はなおも逃げようとして足を踏みはずし、転落して死亡します。
 これで犯人の自供は得られなくなりました。
         
 しかしこれまで証言を渋っていた目撃者の男がやっと証言する気になり、再審が行なわれて、キンブルは晴れて無実を勝ち取りました。
 最後にジェラード警部が差し出す手に、キンブルは複雑な表情でぎこちなく握手しました。
 彼の逃亡の旅は終わりました。
               
 忘れもしない1967年9月2日、私はふたりの友人と神田の古本屋街をぶらついたあと神保町の定食屋に入ったとき、ちょうど最終回が始まったところでした。店内の客は全員箸をとめて観ていました。
 最後にキンブルが晴れて無実の身になって「やれ、よかった」とみんな胸をなでおろしました。
 それほどこのドラマは当時の日本人にとっては大きな関心の的でした。最終回はアメリカでも視聴率は高かったそうです。
    
 とはいえ、この結末は不可解なことばかりです。
 まずおかしいのは目撃者の男。
 いくら戦争の後遺症で精神を病んでいるからといって、近所に住む人徳ある医師が無実の罪で死刑台に送られようとしているのに証言を拒否するどころか、容疑者を保釈までするとは。
      
 アメリカの法律はよくわからないけど、ロスから遠く離れたイリノイ州スタッフォードの人間が強盗容疑者の保釈を申請するには自ら身分を明かし、申請の理由を明らかにした上で身元引受人になることが必要。むろん多額の保釈金も要る。しかもその審査は相当厳しいはず。
 それをこのドラマではあっさりと流している。
         
 むろんドラマだからどのようなストーリーにしようと勝手だけど、突っ込みどころ満載ではせっかくの「名作」も半減です。

         

 逃げるリチャード・キンブルとそれを追うジェラード警部(バリー・モース)。
 この関係はヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンとジャベル刑事の関係にそっくりです。
 小説ではジャベルが革命軍に捕らえられ、「同志ジャンバルジャン先生に敵対するヤツだから殺してしまえ」という裁定がなされますが、ジャンバルジャンは彼を逃がしてやります。

ジェラード警部 

 これと同じようなことが「逃亡者」でもありました。
 キンブルは行きがかり上あるアウトロー集団と親しくなり、彼らの信頼を得ます。そんな矢先、ジェラードが彼らに捕まりました。
 警察は彼らの敵。まして(仲間の)キンブルを追い回している男となれば、「殺してしまえ」と色めき立つのですが、キンブルはそれをやめさせます。
 ジェラードさえいなくなれば、自分は楽になれるのに。
 「私にはお前という男がわからん」とジェラードはつぶやきます。
   

 小説「レ・ミゼラブル」のジャベルは「ジャンバルジャンは無実である」と遺書を残してセーヌ川に身を投じますが、「逃亡者」のジェラードは「それとこれとは別」とばかり再びキンブルを追いかけます。
   

 私たちがこれをリアルタイムで観ていたとき、妙なうわさが流れました。
 「最終回でキンブルは捕まり、処刑される。まさに神は盲しいたのだ。しかも真犯人はジェラード警部」というものです。
 これは現地で最終回を観た人の証言として、当時の週刊誌(新潮?)に掲載されていました。
  

 これには「キンブルが可哀相」と涙ぐむ人もいたそうですが、私は「アメリカ人の国民性として、それは絶対にない」と確信しました。
  

 私は西部劇をはじめとするアメリカ映画を数多く観ていましたが、その骨子は「フェアプレー」と「勧善懲悪」です。(むろん「アメリカファースト」の正当化ですが)
 キンブルがジェラードを助けたのも、助けられたジェラードが再びキンブルを追いかけるのも、すべてフェアプレーの精神。
 ところがジェラードが真犯人では「フェアプレー」も「勧善懲悪」も成り立たない。だから「それはあり得ない」と思いました。(ただしイタリア映画ならあるかも)

TVドラマ「逃亡者」より②    

 もっともアメリカ映画は二通りの結末をつくって関係者に観せ、「どちらがいいか」討議するという手法があるそうです。「逃亡者」にもキンブルが死ぬバージョンがあり、週刊誌で証言した人はそれを観たのかもしれません。
        

 また「キンブルは死ぬかもしれない」という不安を与えたほうが、ハラハラドキドキ感が増し、視聴率が上がると考えたのかもしれません。
 このようにいろんなことを想像させて物語は最終回に突き進みます。

          


 「逃亡者」というと若い人はハリソン・フォード主演の映画(1993年公開)を思い浮かべるでしょうが、私は俄然(1960年代の)TVドラマ「逃亡者」(The Fugitive)。
 「リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき神も、ときとして盲しいることがある。彼は身に覚えのない妻殺しの罪で死刑を宣告され……」
 矢島正明のナレーションではじまるドラマに、我われは何度ドキドキハラハラしたことか。
          
 インディアナ州スタッフォードの小児科医リチャード・キンブル(デビット・ジャンセン)は妻ヘレンと口論し、家を飛び出しますが、帰ってみると彼女は殺されていました。
 その直前片腕の男が家から飛び出すのを目撃したのですが、妻殺しの犯人として逮捕され、裁判で有罪となり、死刑を宣告されます。

リチャード・キンブル      

 しかし死刑執行室に向かう列車が脱線事故を起こし、キンブルは逃走します。髪を黒く染め、名前を変え、さまざまな労働に就きながら、片腕の男を探します。
 そのキンブルをジェラード警部(バリー・モース)は執拗に追跡します。
   
 逃亡者の常として、すぐ働ける仕事とは単純な肉体労働です。
 周囲はがさつな荒くれ男ばかり。キンブルのようなインテリはどうしても浮き上がり、手荒いいじめを受けます。
 最初のころはケンカが弱く、すぐやられてしまいますが、次第に鍛えられ、多少の荒くれ男では負けないほど強くなります。
   
 追われている身なので、なるべく目立たないようにふるまうのですが、弱い人や困っている人がいると見捨てることができず、つい関わってしまいます。
 また病人や怪我人が出た場合、やむをえず医療行為に及び、そのために「指名手配中」であることがばれ、窮地に陥ります。
 けれども彼の人柄に惹かれた人々によって、危機一髪というピンチを救われます。

TVドラマ「逃亡者」より①    

 それに行く先々で女性にモテるのも見どころです。
 彼女たちは最初、キンブルの人柄に惹かれますが、次第に恋心に変わり、彼の正体がわかっても無実であることを信じ、逃がしてやります。
 恋の相手になるのは10代の少女から熟女までと広く、淡いプラトニックラブで終わることもあれば、濃厚な関係になることもあります。
 しかし逃亡者の立場ゆえ、いつも別れなければならないのが心残りです。
   
 彼を追うジェラード警部は執念深い男です。
 キンブルが逃げたときに同行していただけに、「自分のミスでヤツを逃がした」という自責の念もあって「なんとしてもヤツを捕まえ、死刑室に送り込んでやる」と燃えています。
    
 ジェラードはキンブルを犯罪者として追跡していましたが、次第にキンブルを理解するようになり、妻殺し以外の犯罪容疑は否定するようになりました。


       

 このところ寒いので徘徊は控え、自宅で録画した映画を観ています。
 そんななかで取り上げたいのがフランス映画「かくも長き不在」(1960)

 パリの場末でカフェを営むテレーズ(アリダ・ヴァリ)は男たちの人気の的でしたが、誰になびくこともなく孤閨を守ってきました。

かくも長き不在①   

 ところがある日、店の前に通りがかった浮浪者(ジョルジュ・ウィルソン)を見てびっくり。戦場に行ったまま行方不明になった夫アルベールそっくりだったからです。

かくも長き不在②   

 浮浪者は過去の記憶を失っていました。それでも彼女はなんとかして男の記憶を取りもどそうと試みます。
 男の寝泊りする掘っ立て小屋を訪ね、唯一の趣味(?)である雑誌の切り張りに協力して親しくなり、アルベールの叔母と甥を故郷から呼び、なんとか記憶をもどそうと試みるも効果なし。

かくも長き不在③    

 ある夜、男を招いて二人だけで食事会を開きました。
 食後、幸福だった結婚時代の記憶を呼び起こそうとダンスをします。

かくも長き不在④ 

 踊りながらテレーズが男の背中から後頭部に手をやったとき、そこに深い傷跡を発見します。
 彼はゲシュタポに捕らえられ、外科的手術によって記憶を消されていました。

かくも長き不在⑤ 

 記憶がもどらぬまま暇乞いを告げ立ち去ろうとする男に、テレーズは思わず叫びます。
 「アルベール!」
   

 それまでの一部始終を伺っていた近所の人たちも、口々に呼びかけました。
 その瞬間、男は両手を挙げ立ち止まりました。
    

 そして脱兎の如く走りました。その行く手にトラックが立ちふさがり、あっという間に男は轢死しました。
 テレーズはつぶやきました。
 「寒くなったらもどってくるかもしれない。冬を待つわ」

 この映画を初めて観たのは学生時代です。
 日本公開は1964年ですが、観たのはその数年後、低料金の二流、三流館に回ってきてからのことで、映画館は新宿三丁目の「日活名画座」か「シネマ新宿」、どちらかです。
     

 その後TVで放映されたとき、ビデオで録画して何度も見ました。
 声高に反戦を謳ってはいませんが、戦争によって受けた心の傷を克明に描いており、何度観ても感動します。
 それらのビデオは埼玉に引っ越してきたときすべて廃棄しましたが、今こうしてCS放送で観られるのはなんともありがたい。
    

 余談になりますが、学生時代ジャズ喫茶で知り合った映画好きの友人がいました。その彼がぷっつり消息を絶ち、一年後に逢ったとき、彼の口から出たことばは、「おう、Such A Long Absence」。(「かくも長き不在」の英題)。
 自分から消息を絶っといてよくいうよ。
 いらい私も久しぶりに会った友人に対して「Such A Long Absenceやないか」というようになりました。

   


 この3~4日、左手の人差し指の先端に軽いしびれを感じます。
 見ると第二、第三関節の甲の側が紫色に腫れている。これは?
  

 先ず内出血を疑いました。
 しかしここを打撲した覚えはない。
 となると、これは凍傷?
 凍傷というのは冬山で遭難した人に起こりやすい症状だけど、このところの厳寒のさなかをチャリで疾走していたため、ここにだけ冷たい風が集中的に当たったからか。
  

 だとすると先端のしびれは感覚がなくなる予兆ではないか。
 そして血の巡りが悪くなり、やがて壊死する。
 ぞっとしました。凍傷になった人が手や足の指の切断を余儀なくされたと聞いたことがあるからです。
   

 あわてて指をぬるま湯に浸け、入念なマッサージを施しました。
 その効果があったのか、しびれはなくなりました。しかし紫色の腫れは治らない。
  

 このしびれは朝がひどく、午後からはなくなるのです。
 だから一過性のものとは思うけど、それが数日間も続くのは変だ。
 医者へ行こうかなと、と思いました。

 しかしこれには苦い思いがあります。
 5年前、左手の親指の付け根に違和感を覚えたので、近くの診療所で診てもらいました。
 「これは脳梗塞の予兆でしょうか」
 と聞くと、医者は「はははは」と笑いました。
        

 それで処方されたのがインドメタシンクリーム。「これを患部に塗っておきなさい」
 何のことはない、メンソール系の軟膏だ。
 バカにしやがって。こんなもので治るなら苦労はない。
 (こちらはあくまでも循環器系に原因があり、と思っていたので)
  

 とはいえこれを塗り続けているうちに、あーら不思議、あれほどギクシャクしていた親指付け根の違和感はなくなりました。(メンソールの効果おそるべし?)
 しかしこの症状は数日後、NHKの「ためしてガッテン」で腱鞘炎であることがわかりました。
 そこでくだんの診療所の医師に、「これは腱鞘炎でしょう」と尋ねると、「そうですよ」
 だったら最初からそういえ。
 というわけで、このために医者に行くのは何となくためらわれました。
  

 それでも一昨日から5年前のインドメタシンクリームを塗り、生姜シナモン紅茶(シナモンは毛細血管を活性化させるというので)をせっせと飲みました。

 そして今朝、左手の人差し指を見ると、紫色の腫れはかなり退きました。そしてしびれはない。
 これは治る兆候?
 まさかインドメタシンと生姜シナモンが即効いたとは思わないけど、どうやら凍傷ではなかった模様。
      
 よく見ると右手の中指なども部分的に薄い紫色の腫れが見られるので、これはしもやけの一種?
 しもやけというと幼少のころよく罹ったけど、あのときはやたら痒かった。
 しかし老人性のしもやけは痒くないのか。
 よくわからないけど、快方に向かっているようなので、まずは安心しました。