鶴岡八幡宮にやってきました。
 ここは鎌倉徘徊には外せないところ。

鶴岡八幡宮・境内   

 入口の太鼓橋です。
 昔は渡れたのですが、事故が多発したためか(?)通行禁止になりました。残念。

太鼓橋(今は通行禁止)   

 ここで有名なのは石段の左にあった大銀杏。
 樹齢一千年といわれ、三代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれ、神奈川県の天然記念物に指定されていましたが、平成22年3月10日未明、倒れてしまいました。

左は古い大銀杏の切り株、右は新しい銀杏の若木   

 倒れた大銀杏の幹は切断され、根は別のところに移されました。
 元の場所からは新しい芽が出るようになり、今では背も伸び、立派な若木に成長しました。5年前はまだほんの小さな若芽だったのに。

石段から見た古い切り株(右)と若木(左)   

 この鶴岡八幡は、康平6年(1063)源頼義が戦勝を祈願して京都の石清水八幡宮を由比郷鶴岡(今の材木座あたり)に鶴岡若宮として勧請したのが始まりとされ、 治承4年(1180)源頼朝が現在の地に移したそうです。

本殿へ上る石段   

 鎌倉時代は政治の中心的な役割を果たしたものの、鎌倉の終わりとともに一時衰退。戦国時代は焼き討ちにあうも北条氏綱によって再建。江戸時代は幕府の庇護を受けました。

鶴岡八幡宮・本殿   

 それよりも今回私が気になったのは、境内に屋台をかまえた「タン塩ステーキ」の店。
 若者が主体だけど、多くの人が並んでいる。一串600円とけっして安くはないけど、修学旅行の中高生も多い。

タン塩ステーキの屋台 

 見るときちんとした身なりのシェフが鉄板で肉を焼いておられる。
 そこそこのレストランらしい。お腹も空いていたし、興味あったけど、かなり待たされそうだったのでやめました。

    

 円覚寺には何度か訪れていますが、今回初めて入ったのは「佛日庵」。
 (前回は100円をケチって入らなかった?)
 入口で渡された線香を「開基廟」の前に立てて参拝。

開基廟   

 これは円覚寺の開基である北条時宗公が祀られているところ。現在の開基廟は文化8年(1811)に改築されたもの。
    

 その裏山に「烟足軒」という茶室があり、これは川端康成「千羽鶴」に登場する茶室のモデルといわれています。
 また、その苔庭は林家木久蔵(現・木久翁)氏の作庭によるもの。あの方はラーメンだけではなかったのか。

茶室「烟足軒」 木久翁の手による苔庭

 なお、境内では茶を喫することができます。
 このときは女性がひとり、黙然と茶を喫しておられました。風流ですな。

茶を喫する女性   

 円覚寺の南の外れに「国宝・洪鐘(おおがね)」の標識がありました。
 ここは行ったことがないので進んでみると、鳥居の向こうに石段があり、これが意外に長い。
 ふーッ、どこまで登らされるのか。

長く続く石段 

 と、登り切ったところに弁天堂。
 ここには江ノ島より招来した弁財天を祀っているとのこと。こんな山奥になあ。

弁天堂 

 その近くには洪鐘が。
 これは北条貞時公が江ノ島弁財天を参詣し、天下泰平を祈って西安3年(1301)に鋳造されたもの。ふーむ。

洪鐘(おおがね) 

 他にも小さな発見がありました。
 崖の下の小さな洞窟。

白鹿洞 

 これは「白鹿洞(びゃくろくどう)」といって、円覚寺開堂の日、無学祖元の法話を聞くために山中から白鹿の群れが出てきたといういい伝えがあり、それにちなんで「瑞鹿山」と号したといいます。「めでたい鹿の山」という意味。
      

 さらに……。
 境内配置図を見ると、裏門近くに「般若水」の表示。
 酒のことを般若湯(はんにゃとう)というから、いい水が滾々と湧き出る泉があるのではないか、と掃除をしていたおじさんに聞いてみると、
 「あれは、昔は水が湧き出ていたそうですが、今は涸れてますよ」
       

 それでも、その跡らしきところへ行ってみると、なんと水が湧き出ている!

般若水跡 

 思わず興奮して、おじさんに「水はちゃんと湧き出てますよ」というと、
 「それは雨水が溜まったのでしょう。この二日間ほど激しい雨が降りましたからねえ」
 (訪れたのは10/27)
       

 これにはガクッときましたが、改めて円覚寺の奥行きの深さを認識しました。

    
      

 一昨日(07/29)に続いて昨日(07/30)も川越夏まつりに行ってきました。
 前日は午後から大雨が降ったけど、この日は午前中に上がり、曇天ながら雨の心配はなかろうということで。
  

 相変わらず一番街は大勢の人。

蔵造り一番街 

 ♪ピ~ヒャラ、ピ~ヒャラ、テンテケ、テンテケ……
 山車の引き回しも出ました。

山車の引き回し   

 大正浪漫通りと連雀町では太鼓の演舞が行われていました。

連雀町にて   

 迫力からすれば、大正浪漫のほうに分があったかな。(腹にズシンときたし)

太鼓の演武 

 音といえば火縄銃の実演。
 川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の方々(約15名)がズラリと陣を構え、指揮役の「弾込めえ!」の合図に隊員たちは銃口から火薬を詰め、棒で押し込み、弾を入れ、キッと構える。

鉄砲隊   

 そして「撃て!」の合図にズドン!
 時間差を置いて別の隊員がズドン!
 (いずれも空砲です)

火縄銃実演 

 この射撃音に父親に抱かれていた幼児が「ギャーッ!」
 射撃音については、昔見た府中市の火縄銃保存会の実演のほうがはるかに大きく、「ドーン!」と耳をつんざくような音で、腹にも響きました。
   

 それに比べればこれは大したことはない。これぐらいの音で泣くなよ、川越坊主。
 (うちの子は泣かなかった)
     

 夜はジャズの演奏もあるとのことでしたが、これでじゅうぶん。

         

2017.07.20 違うだろッ

 「このハゲエーッ! 違うだろ」
 ポスターをみてすぐ思い浮かんだのがこのことば。
 この人、ここ(新座市)が地元だったんだよね。

川越街道にて 

 場所は川越街道の跡見女子大を出たところ。
 ポスターは健在でした。それも向かい側には4枚も並んでいる。これも無傷。
 (ただし本人はお隠れになっているとか)

向かい側も   

 「こんな議員、地元の恥だ」と破る人は誰もいない。(地元の人は温かい)
 もっとも破ったりしたら犯罪になるからね。

ポスター   

 この人も安倍政権の足を引っ張ったけど、稲田サンに比べればごく微量。
 稲田サンは思いっきり泥沼に引きずり込んだ。
    

 しかし本当に足を引っ張ったのは当の安倍サン。
 「国民には丁寧に答える」といってるけど、「丁寧にうそをつきます」ということ?
 いくら「岩盤規制に穴をあける」と正当論をぶっても、それで国民は納得するのか。それに「ではなぜ加計学園か?」と問われたらどう答える。
 まさか本当のこと(加計学園は私の肝入り?)はいえまい。政治家としてアウトだ。
      

 だから、あくまでもしらばっくれるしかないけど、官邸が文科省に圧力をかけたのは「事実」なので、和泉補佐官が勝手に忖度して暴走した、という「図を描く」しかないんじゃないの。
    
 この「図」を安倍サンはどう演じるのか。
 和泉補佐官を悪者にして、「私は関係ない」と突き放すのか。
 それとも「有難いけど、そのやり方はどうか」と本音を吐露するフリをして、さらに和泉補佐官をかばう。「みんなに悪気はなかった。忖度がひとり歩きした」
 いささか臭い芝居だけど、国民の情に訴える。その際「私も妻も軽率でした」との反省と謝罪もほしい。
 プライドの高い安倍サンがここまでやれば、私としてはぎりぎりセーフ。しかし国民の大半、マスコミなどはもっと厳しいかも。
     
 これ以外に国民を納得させる説明(論法)があるのだろうか。今の私にはそれしか思い浮かばない。
   
 それに比べれば「このハゲエーッ!」など可愛いもの。
 どうせ自民党を離れたのだし、いっそ野党になって稲田サンや安倍サンに「違うだろッ」とやれば面白いのに。
    
    

 ここは何度もきているので、それほどの感慨はありませんが、この丸の内駅舎が復元営業された当時(5年前)は、「こんなに立派になったのか!」と感激したものです。
  

 復元営業されたのは2012年の10月1日。
 私が訪れたのはその4日後でしたが、大勢の人であふれかえりました。
 「きれいになったのう」
 「目の黒いうちに見られてよかった」
 お年寄りのよろこぶまいことか。

行幸通りから見た東京駅丸の内駅舎   

 友人で京都に住む写真家は、「復元東京駅いいね。京都にはこんな発想はないからなあ」といいました。
 たしかに京都駅は(リニューアルされた当時は)斬新だったけど、月日が経つと陳腐なものになっていく。
 その点、古典は時代がどう移ろうと普遍的な存在感を保持します。
 ただしそのためにはレンガひとつにも極力当時に近いもの特注したりで莫大な費用がかかりました。

南側から見た駅舎   

 この東京駅、実は太平洋戦争の戦災により南北のドームと屋根・内装を焼失し、戦後、3階建ての駅舎を2階建てにして復興しました。
     

 そんな経緯はつゆ知らず、私は上京以来「こんなものだ」と思って見てきました。
 事実を知ったのは、「東京駅の復元工事が進められています」とニュースで知ってから。これは当方だけ?

南ドームの下   

 したがって今見ている(南北のドームと3階建ての)駅舎が創建当時(大正3年=1914)の駅舎に限りなく近いことになります。
 それにしても、全長335mは長い。(撮影泣かせ?)

ドームの天井   

 ところで、これは(↘)4年前(2013年)の4月25日、近くのKITTE館から撮った駅舎です。

KITTE館から見た丸の内駅舎   

 オープンしてから半年なので、しっとりときれいなものです。
 それに対して今の駅舎は幾分色褪せて見えます。
 もちろん気象条件によって写り方の違いはあるけど、「これが4年の歳月か」というのが当方の実感です。
 

 ※今回のシメ句は割愛します。