出張校正での作業は煩雑で責任重大ですが、同時に楽しいこともあります。
 会社から離れているので、社長や営業の連中もいないため、解放された気分になります。
 直属の上司(編集長)はいますが、その編集長にしてもどことなくリラックスしていました。
   

 それに印刷所からすれば我われはお客さん。お茶はもちろん、昼食が出ました。といっても近所の食堂のランチですが。
 遅くなると夕食も出ました。当時独身のF君は「これは助かる」とよろこんでいました。
        
 F君はお茶を運んでくる女子社員の名前を片っ端から聞いてはリストアップし、勝手にランキングをつくりました。
 いかにも編集者がやりそうなことですが、それ以上には発展せず、可愛いものでした。
    

 ゲラ刷りが出るまで時間がかかるときは、印刷所の営業マンとチンチロリンをやったこともありました。これについては以前「チンチロリン」で述べた通りです。
   

 それよりも私が楽しかったのは、他の編集者と呉越同舟することです。
 作業の基本は同じですが、二校、三校をとったり、大声で読みあげたり、やり方はそれぞれ違い、興味をそそられました。
    

 私たちのとなりのブースは「週刊ベースボール」でした。
 顔を合わせれば互いにあいさつする程度でしたが、彼ら同士のやりとりにときどき吹き出すことがありました。
  
 「今年のカープは優勝に急カープ。よし、これで行こう。がははは」
  野球評論家の千葉茂さんでした。
  校正というより、コラムの川柳を担当していたようです。
   

 「往年の巨人の強打者がなあ……」
  巨人ファンのF君がぼやきました。
 「この前なんか鼻提灯出して居眠りしてたよ。こんなボロい印刷所にくすぶるとは。人間落ちぶれたくないなあ」
         
 もっとも千葉茂さんはのちに野球殿堂入りし、2002年に他界されました。
 人間というのは臥薪嘗胆する時期があるものだ、と思い知らされました。
           

 印刷所は飯田橋から九段方向に下りたところ、昔の貨物線「飯田町駅」の近くにありました。
 歩くとミシミシ揺れるバラックでした。
 こんなところによく活字棒や印刷機械など、重いものを置いていたなと思うとぞっとします。
 今なら違反建築でしょう。飯田町駅の廃止とともになくなったと聞きました。(参照
    
 今ではほとんどオフセット印刷に変わり、原稿にしてもPCのワードでやりとりし、それをPCのレイアウト画面に流し込み、それがそのまま版下になる時代。
 あの膨大な活字の棒や、文選・植字の職人技は今となっては無用の長物ですが、出張校正の楽しみは味わえないでしょう。
     

 ※このシリーズは旧ブログ2011/06/22~24に投稿した記事をリメークしたものです。

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