「金戒光明寺、行ったことあるか」
 「黒谷さんのことやろ。多分一度ぐらいは行ったと思うけど、まったく記憶がない」
 「行ってみよか。会津藩の本陣があったところや」

境内①  

 彼は新選組の足跡にはひとかたならぬ興味があるので、どうやら何度も行っているらしい。
 車は熊野から錦林小学校の裏に入り、金戒光明寺の駐車場へ。
 (あとで地図を見ると、真如堂と隣り合わせでした)

 金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は浄土宗の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。
 浄土宗七大本山のひとつ。

山門 

 立派な山門です。万延元年(1860)完成。
 山門の桜上正面に「浄土真宗最初門」と書かれた額が掲げられていますが、これは法然上人が最初に浄土宗を布教を行った地であることに因み、後小松天皇から賜ったものだそうです。

         

 境内に「勢至丸(せいしまる)さま」の銅像があります。
 勢至丸とは法然上人の幼名。
 説明書きによると、勢至丸は幼いころから、よく西の壁に向かって端座合掌していたとのこと。

勢至丸さまの銅像 

 「オレもな、世界が平和になるようにと子どものときから端座合掌してたんや」
 「キミが端座してたのは、エロ本読んでたからやろ。それが将来役立ったやないか」
 「ばれてたか」
 「そんなん、わかってたで」

本堂 

 この寺院は江戸時代初期に城郭構造に改修された。
 そのため幕府は幕末の京の治安を守るため文久2年(1862)ここに京都守護職を設け、会津藩に当たらせました。

子を抱いた上人 

 その下につくられた警備組織が新選組。
 したがってここは新選組発祥の地でもあります。
 映画「燃えよ剣」にもしばしば会津藩の本陣が出てきますが、この金戒光明寺のことです。
 (撮影のロケ地に使われたこともあります)

境内② 

 境内には「直実鎧掛けの松」があります。
 熊谷次郎直実(1141~1208)は武蔵国の武将。
 一ノ谷の合戦(1184)で平敦盛を討ったものの、相手が自分の息子の年代の若い武者だったため無常観にとらわれ、法然上人を慕って出家します。
 これはそのとき直実が鎧を洗い、ここに掛けたという松の木ですが、青々としてまだ若い木です。
 「これが?」と思いますが、実は三代目。去年(平成26年)植え替えられたばかりです。

熊谷直実鞍掛の松 

 私のような凡人は「本当に直実が鎧をかけたのか」との疑問に駆られますが、栗東の歴史研究家N氏にいわせると、
 「史実かどうかではなくて、そういう言い伝えが残っているというのが大事なことなんや」
 なるほど。勉強になります。
      
 紫雲山の山号は法然の縁起によるものですが、後光厳天皇に戒を授けて「金戒」の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになったとか。
 「金を戒める」
 いいことばだと思いますが、金に縁のない人間はどう戒めればいいのだ。

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