申し遅れましたが、今月(4~6日)の間、同窓会の打ち合わせで京都に行っておりました。
 用事は4日に済ませ、5、6日はこれまで行きたかったところを行ってきました。

 5日(土)の朝は東一条から吉田神社へ。
 この道は小学校の通学路でした。
 写真(↓)向こうに見える山は大文字山で、吉田山は手前の低い山です。
 下校時は大文字山を正面に見て歩いていたのだ、と改めて思いました。
吉田神社・一の鳥居 
 ふだんならここから歩いて参道を上るのですが、この日は取手の友と車できたので、銀閣寺から宗忠神社の脇を上り、吉田神社の斎場大元宮から入りました。
吉田神社・大元宮 
 私は吉田山のふもとで育ち、吉田神社の氏子でもあるはずですが、この神社のことはどうもよくわからない。
 山蔭神社とか竹中稲荷などいろんな末社があって、どうやら神社の複合体らしい。
吉田神社境内図  
 本宮に入りました。
 昔は左手に吉田幼稚園があったのですが、今は池の向かいに移動しました。
 私はこの幼稚園には行かなかったのですが、小学生のころは我われの遊び場でした。現在我孫子(千葉県)に住んでいる友とはよく遊びました。
吉田神社・本宮
 この幼稚園の縁の下にむき出しの土があり、そこに洞穴をつくって秘密基地にしていました。
 小5のとき母親と喧嘩して家出したときは、ここで夜を明かすつもりでした。しかし洞穴のことを知っていた弟に服を引っ張られ、家出は断念しました。
 そんな苦い思い出があります。
 山頂の四阿 吉田山から見た大文字山
 「ここに神楽岡社というのがあるやろ。ここが我われ神楽岡(町)に住んでいた住民の神社や。小っこい社やけど、これでもちゃんと独自の例大祭があるんやで」
 そんなのがあると初めて聞きました。
神楽岡社 
 山頂からちょっと脇に出ると、美味そうなカレーの匂いが。
 我われが京都を出てからできた喫茶店でした。
 「こんなん、なかったなあ」
 まだ準備中だったので入るのはやめました。
喫茶店 
 「紅もゆるの碑も変わったなあ。こんなにいろいろ説明がつけられて」
 「オレなんか、ここはよう上ったもんや」
 「私もや」
紅もゆるの碑 
 このあと竹中稲荷から彼の住んでいた神楽岡地区へ。
 「おかしいな。すっかり変わってしもた」
 たしかに変わっていたけど、彼の記憶もちょっと怪しかった。
神楽岡地区 
 「そうそう、ここに私の家があったんや」
 「ほう、なかなか広いところに住んどったやないか。豪邸やで」
 「豪邸いうほどのことでもないけどな」
 とはいうものの、ここは閑静な住宅街で、どの家も立派な佇まいです。
友人の実家があったところ 
 神楽岡となると、この友の愚痴ること。
 「神楽岡の子どもの通学は大変やったんやで。山(吉田山)ひとつ越えてたんやから」
 「オレだって百段は知ってるから大変なことはわかるけど、S君(現武蔵野市在住)はそんな愚痴一言もいわんかったぞ」
 「S君は人間ができてるからや。キミら本町は平場を歩いとったんやないか」
 「申しわけございません」(なんで謝らんならんのや!)
百段 山頂の指標(標高105m)
 こんな話をしながら我われは竹中稲荷→宗忠神社を経て真如堂に向かいました。
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