2015.09.13 白糸台掩体壕
 府中市の甲州街道沿いに「白糸台掩体壕」があります。
 掩体壕(えんたいごう)とは戦闘機を空襲から守るための格納庫のこと。

 府中に住んでいたころ、市内の数カ所戦時中の掩体壕が残っていることを知り、興味はありましたが、そこまで行くのが面倒で、行くことはなかったのです。
 それが府中を離れて行くことになろうとは。皮肉なものです。
 
 大國魂神社、サントリービール工場、東京競馬場を見たとあっては、掩体壕を見るしかない。
上(甲州街道)から見た掩体壕
 白糸台は府中市のなかでも調布に近いところ。調布といえば飛行場。
 調布飛行場は、昭和13年(1938)東京府によって計画され、北多摩郡多磨村(府中市)・調布町(調布市)・三鷹村(三鷹市)にまたがる約50万坪の土地に、昭和16年(1941)4月に官民共同の飛行場として設置されました。
 しかし同年8月には陸軍専用の飛行場として使用されることになり、帝都防空の拠点として「飛行第244戦隊」が置かれ、三式戦闘機「飛燕」など多数の戦闘機が配備されました。
正面から見た掩体壕 
 戦争末期には、鹿児島県の知覧基地への中継点として特攻隊の訓練も行われましたが、同時に戦闘機を米軍の空襲から守るため、昭和19年(1944)調布飛行場周辺に約60基の掩体壕がつくられました。
反対側から見た掩体壕
 戦後、多くの掩体壕は取り壊されましたが、そのまま放置されたものもあって子どもの遊び場にもなりました。
 そのうちの一基が白糸台掩体壕(正式名は旧陸軍調布飛行場白糸台掩体壕)。
戦後は子どもの遊び場に・昭和29年  
 ここは旧所有者が繰り返し補修を行ってきたため、良好な状態で保存されてきたものを市が調査し、保存修理を施して平成24年(2012)歴史遺産として一般公開しました。

 なかまで入ることはできませんが、その全容を知ることができます。
 うしろ(上)から見ると、ただの小高い山。その下に戦闘機が隠されているとは。
掩体壕の裏側 
 説明書によると、この掩体壕は戦闘機「飛燕」とほぼ同じ規格で造られていたことが判明し、平成20年(2008)に市の史跡に指定されたとのこと。

 また掩体壕には有蓋掩体壕と無蓋掩体壕の二種類あることがわかりました。
 大雑把にいうと、有蓋とは屋根を土やコンクリートで固めたもの、無蓋とは周囲を土で囲ったのみで屋根がなく、上は草や木で覆いをかけたものをいいます。
無蓋掩体壕・昭和20年3月 
 歴史遺産として保存し、さらに公開するにはこのような手入れの仕方はやむを得ませんが、子どもの遊び場になっていたときの姿を見てみたいと思いました。
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