N産業の歴史を紐解くと、前身は「D兵器株式会社」(昭和13年設立)という軍事産業でした。
 戦後は「N産業」と改称し、機械の部品をつくる工場になりました。

 しかし一方では銃器、弾薬もつくっていて、自衛隊などにも納めていたようです。
 当然、社の景気は戦争に大きく左右されました。
 朝鮮戦争では潤い、戦争が終結すると赤字(昭和29年、会社更正法申請)。ベトナム戦争が始まると黒字……といった具合です。

 私が取材に行ったのは、まさに好景気のころでした。
 社としては、戦争で儲けているとは人聞きが悪い。
 そこで自社の技能優秀者をスター扱いすることによって、社のイメージアップを計ろうとし、(軍人つながりの)業界誌に多額の広告費を投じたのではないか。

イトーヨーカドー① 

 気になるのは、インタビューし、写真を撮らせてもらった技能優秀者である工員の人たち。
 大半が私と同世代。なかには私より若い人もいました。
 彼らはあの工場の「秘密」を知っていたのか。
 今もし再会できれば、聞いてみたい。

 一方、京急谷津坂駅が開業したのは昭和19年(1944)、ほとんど軍需工場(D兵器株式会社)の関係者のための駅でした。

 戦争が終わり、昭和21年、駅の北側に(私立)横浜高校・中学がきてからは、乗降客の大半はN産業の社員と、横浜高校・中学の生徒、教職員が占めました。

横浜高校 

 駅を同じくするよしみもあって、横浜高校からN産業へ就職する卒業生は多く、N産業には「横浜高校OB会」もあるほどでした。

 私は学生時代ベトナム戦争に反対し、街頭デモに参加したこともあります。
 しかし学生をやめて間もなく、知らなかったとはいえ、ベトナム特需の企業のお先棒を担いでいたとは。
   
 今の私には「軍需産業、怪しからん!」という気はありません。
 アメリカの属国である日本では致し方のないことであり、どうあれ人々はそれでメシを食い、子どもを育ててきた。
 戦争特需で日本は潤い、我われは高度成長を享受した。
 誰にも非難する資格はないのです。

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