2020年東京五輪のエンブレムがベルギーのリエージュ劇場のロゴマークのパクリではないかと訴えられています。
 五輪のエンブレムをデザインした佐野研二郎氏の側は躍起になって否定していますが、IOCや日本オリンピック委員会(JOC)も「パクリではない」と否定しているだけに、双方ガチンコ対決、大騒動になりそうです。

 どうしてこんなことになったのか。
 それはデザインの選考を専門家に丸投げしたことにあります。

 デザイナーの作品をデザイナーが選ぶ。
 すべて仲間内。なかには同じ釜の飯を食った者同士、先輩・後輩の間柄もあります。
 「あの人が応募しているのだったら、入れておこう」
 「この前は入れてもらったから、今度はこっちがお返しする番」
 こんな情実が絡んでも不思議ではない、「なあなあ」の世界です。

 さらにいうならデザイナーというのは(気質的に)一般受けするものを選ばない。
 早い話が没になった新国立競技場。あれだって選考は建築家に丸投げ。
 だから安藤忠雄は自分の感性で(アンビルドと呼ばれていた建築家の)デザインを選んだ。

 デザイン(設計)を選ぶのはデザイナー(設計者)ではなくて、あくまでも発注者だよ。
 例えばある家族が家を建てるとき、建築士から提示された間取り図を自分たちで検討するだろう。まさか「検討は(別の)建築家にお願いします」とはいわないはず。

 規模は違うけど、基本は同じ。
 五輪組織委員長(森喜朗)、文科大臣(下村博文)、五輪大臣(遠藤利明)、さらに東京都知事(舛添要一)たちはこれまで培ってきた見識と感性で選考しろ。
 
 ではなぜ同業者に丸投げするのか。
 元総理のなかには絵の上手な人もいたけど、総じて自分のセンスに自信がないらしい。
 森喜朗は「カキがどろっと流れ出たようなデザインは最初からいやだった」と真っ当なセンスをお持ちである。だったら最初からそう主張して選考に活かせ。
 政治家の考えだけでは偏るかもしれないと思うなら、アスリートの考えも取り入れればいいじゃないか。

 そうしないのは責任を取りたくないから。
 新国立競技場問題だって責任をなすりつけ合うだけで、誰ひとり責任をとらない。
 これが日本の指導者の体質。
 戦争責任も然り。結局なんの反省もなく、愚行を繰り返していく。

 こんなことしていたら、東京五輪は今後もゴタゴタ続きだぞ。
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