2015.08.03 流山の閻魔堂
 新撰組陣屋跡以外、流山にはこれという見どころはないのか。
 土産物店で聞いたところ、陣屋跡のとなりに閻魔堂があるとのこと。
 「でも今日は閉まってますよ」
閻魔堂の看板 
 そんなことばに我われは委細かまわず閻魔堂(?)に向かいました。
 「ここがそうか」
 お堂というより墓場。基本的には同じですけど。
入口の古井戸 
 入口に古井戸があります。押すと水が出ました。
 これは手を清めるための水。
水が出た 
 この閻魔堂は安永5年(1776)閻魔大王を祀り、安置されているとのこと。
 お堂は閉まっていたので、閻魔様を見ることはできなかったのですが、目を引いたのは「金子市之丞の墓」

 説明書きによると、
 「金子市之丞は明和6年(1769)流山の醸造家・金子屋に生まれた。家運が傾き父は没したが、家業に励むことなく賭博に興じたため、母に勘当された。やがて母も没して家屋敷までもが人手に渡り、ついに盗賊に身を落として金市といわれたという。
大坂で捕らえられ、文化10年(1813)小塚原の刑場で獄門にされた」とあります。
金子市之丞の墓 
 「なんや、ろくなヤツやないな」

 しかしここから話は急展開、この金市は明治になってからは義賊に仕立て上げられます。
 「明治14年(1881)に初演された歌舞伎「天衣紛上野初花」では大店から盗んだ金品を貧しい人々にばらまき、『ビン小僧の金市さま』と人気を博したことから、義賊としてこの墓石が建てられたようである」
 ねずみ小僧もそうですが、義賊なんて後世の戯作者がつくったもの。

 では看板にある「三千歳(みちとせ)」とは?
 これは歌舞伎の「天衣紛上野初花」で金市の愛人とされた花魁・三千歳の墓とされている、とのことで、まるで「つけ足り」扱い。

 要するになんの実体もない人物をまことしやかに墓まで建てて敬うとは、流山の人々は粋というか暇人というか、当方にとっては面白いからありがたいのですが。
由緒ありげな祠 
 境内には如意輪観音や宝篋印塔などの石造物があり、昔からこの墓に詣でると、頭の病気が治るとか犯罪者の刑が軽くなるなどといわれているそうな。
 犯罪者の刑が軽くなると?
 心当たりのある方はお参りしたほうがいいぞ。
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