先日、京都の友人(中学校からの同窓生)から電話が掛かってきました。
 用件は、H市に住んでいる女性(同窓生)の電話番号を教えてほしい、というもの。

 私は小学校の同窓会の幹事をしているので、その女性の電話番号はわかります。
 しかしいくら友人といえども、そう簡単に教えるわけにはいかない。
 「なんでや」と聞くと、
 「いや、これはオレやない。Yのヤツが知りたがっとるのや」
 Yとは彼の友人で、私もよく知っています。
 小さいときは悪ガキでしたが、今は人懐っこい男(ジジイ?)です。
 ただしいうことに品がなく、下ネタを連発しては女性の顰蹙を買っています。昨年会ったときもそうでした。
 飲食店の女将に卑猥なことをいうので、たしなめたところ、「そういうことではないんや」と軽くいなされ、逆に当方がにユーモアの解せぬ男扱いされました。口の達者なヤツです。

 「しかしなんでYのヤツが彼女の連絡先を知りたがっとるんや」
 「寂しい、いうんや」
 「なに、寂しい?」
 「ヤツはことのほか寂しがり屋でなあ。ちょっと電話しないと、『最近冷たいやないか』というてきよる」
 「かなんな、そんなヤツ。その寂しさを紛らわすのにH市の彼女か」
 「そういうこっちゃ」
 H市の彼女というのは私の少年時代、近所に住んでいた女性です。
 美少女で性格もよく、男たちの憧れでしたが、今は介護の仕事をやっています。(H市のマリア・テレサ?)だから、(エロ)ジジイの介護なんてお手のもの。ヤツはそこに目をつけた?
京都・平安神宮の鳥居 
 「安易なヤツやなあ。しかし、寂しいなんて、そんな境遇か?」
 「いや、ヤツには看護士さんの奥さんがいて、これがなかなかできた人で、毎月小遣いを3万円くれるんや。さらに3人の娘がそれぞれ1万円。友だちと飲みに行くといえば、支払いで恥かかんようにと奥さんが5千円渡してくれる……」
 「なんやそれ、オレにはそんなん、おらんぞ!」
 頭にきました。そんな恵まれた身で、なにが寂しいだ。

 「甘ったれるな。人間、誰だって寂しい。みんなそれを我慢して生きてるんや」
 「オレもそう思う」(彼は奥さんに死なれてひとり暮らし)
 「お前だってYにはさんざん迷惑かけられているのに、そこまで世話焼くことないやないか」
 「それはそうやけど……」
 このあたりは、デキの悪い友ほど可愛いという心理が働いている?。

 ひょっとして友人はYから懇願されて、一種の板ばさみ状態になっているのではないか。
 こうなったら私が悪者になるしかない。
 「これは個人情報やから教えられん。しかし今度の同窓会で彼女に会うてそれを伝えるから、あとは彼女次第や。Yにはそう伝えてくれ」
 「わかった」
 人間は誰だって寂しさを抱えています。
 ひとり暮らしの私は、それをむしろ楽しんで生きていますが、それでも人に去られたとか、協力を得られなかったときなどは、いいしれぬ孤独感に苛まれることがあります。
 
 しかしそれは耐えるしかない。ヤセ我慢です。
 ヤセ我慢することに人間は鍛えられ、強く生きることができる。そう思うのです。
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