大さん橋をあとにして、我われは横浜開港記念館にやってきました。
 これは大さん橋の三塔ビューポイントから見たとき、ジャックの塔が見づらかったので、説明するよりは実際に行ったほうが理解できると判断したからです。
開港記念館 
 「なかなか風情のある建物やな」
 「ここはボランティアの方が案内してくれるんや」
 と、なかに入ったのですが、生憎客が多く、ボランティアの方が「出払って」いたため、私が説明することに。
当時の照明 
 横浜開港記念館は、大正6年(1917)横浜開港50周年を記念し、市民の寄付金で建てられたもの。当時は「開港記念横浜会館」と呼ばれました。塔の高さは約36m。
 その後大正12年(1923) 関東大震災により倒壊。時計塔と壁の一部のみが、かろうじて残存したのを、昭和2年(1927)に復旧されました。ただし塔のドーム屋根は復元されず。
 ※この説明はあとづけ

 「ここが塔に上る階段や。ふだんは閉鎖されてるけど、年に数回開放される日もある」
塔に上る階段 
 「これが薔薇窓いうて、当時の洋館で用いられた鉄製の窓や」
薔薇窓 
 続いてステンドグラス。
 「呉越同舟」の絵と、「鳳凰」の絵。(真ん中の菱は横浜のシンボルマーク)
呉越同舟の絵 鳳凰の絵
 そして「日米不平等条約」の絵。
 これは明治時代の「日米不平等条約調印」の様子を描いたものだそうです。
 船の名前はポーハタン号。条約を結ぶのに日本の役人が小舟で乗り込むところ。 (本来なら相手が上陸するところなのに)
 ということで、この絵は日米の力関係を表す屈辱的(?)ともいえる絵です。
ポーハタン号の絵 
 同館は太平洋戦争終戦の昭和20年(1945)連合国進駐軍により接収されました。
 本来なら取り壊されるところ、この絵に描かれた星条旗を見て、進駐軍は「日本人は敵国の旗を守ってくれてたんだ」と感激し、取り壊さなかったといわれています。
 この絵には反米的(?)気持ちも込められていたのに、皮肉なものです。
 いらいこの絵は「日米友好のシンボル」になりました。
ホール 
 昭和33年(1958)接収が解除され、翌年「横浜市開港記念会館」に名称を変更して、公会堂として利用されるようになりました。
 昭和60年(1985)創建時の設計図が発見され、平成元年(1989)横浜市によってドーム屋根等が復元されました。今は「ジャックの塔」として市民に親しまれています。
 ※この説明もあとづけ。

 こんなおぼつかない説明で、ふたりは納得したのかにゃー。
 
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