久里浜はアメリカのペリー提督が上陸した場所ということで、それを記念した「ペリー公園」があります。
ペリー公園 
 嘉永6年6月3日(1853/07/08)、4隻の黒船が現れたのは浦賀沖ですが、その6日後、ペリーが上陸してアメリカ大統領(フィルモア)の国書を日本側に引き渡した場所は浦賀のとなりの入り江、久里浜でした。
ハイネ画「ペリー久里浜上陸図」(横須賀市自然・人文博物館蔵) 
 その47年後、明治33年(1900)、かつてペリー艦隊の乗組員だったレスター・ビアズリー(Lester A. Beardslee)退役海軍少将が久里浜を訪れ、上陸を記念する事物がなにもないことに落胆し、それを米友協会に訴えたところ、共鳴した人たちの尽力で、翌年記念碑が建立されました。
ペリー上陸記念碑 
 高さ約10m、花崗岩の石碑には「北米合衆国水師提督伯理上陸記念碑」とあります。
 伯理とはペリーのこと。揮毫したのは(初代内閣総理大臣)伊藤博文です。

 こうしてペリー上陸記念碑は日米友好のシンボルとなりましたが、太平洋戦争中には「アメリカ憎し」の感情が高まり、地元の翼賛壮年団が「碑を破壊するべし」といい出しました。
 これに対して横須賀鎮守府長官は、
 「記念碑には罪はなく、倒してしまおうとは大国民としてあまりに大人気ない。そんなに憎いのならば碑に喪章でも着けたらどうだ」
 と諌めたのですが、壮年団は聞く耳を持たず、昭和20年(1945)2月に碑は引き倒されました。
記念碑と錨(手前) 
 同年8月15日、日本は敗戦し、11月になって米軍の見守るなか、翼賛壮年たちの手で碑の再建工事が行われました。彼らは「戦犯にされるのではないか」と、ビクビクしていたそうです。
 相手のいないところでは勇ましいことをいっても、相手がいるとなにもできない。これが翼賛壮年団の実態です。(こんな「伝統」は願い下げにしてもらいたい)
ペリー記念館 
 なにはともあれ、11月中に再建工事は完成し、翌々年昭和22年(1947)7月14日、ここでペリー上陸95周年記念式典が行われました。
 これを機に毎年7月半ばには久里浜ペリー祭りが行われるようになりました。

 図らずも私はその1ヵ月前にここを訪れたわけですが、日米友好の発端となった記念碑を見ることができて幸いです。
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