近藤神社から東に300mほど行ったところに龍源寺があります。
 曹洞宗大沢山龍源寺。近藤(宮川)家の菩提寺です。
龍源寺・山門 
 山門の左手に天然理心流の碑。これは昭和63年に三鷹市剣道連盟が建立したもの。
 さらに近藤勇の胸像と墓所の石碑。
近藤勇・胸像 
 それらを撮っていると、「お墓は本堂の裏手にあるよ」
 と石碑のとなりに坐っていたお婆さん。
 近藤勇の像を指差して、
 「いい顔してるだろう。きりッとして。ここの一家はみんないい顔してるんだよ」
石碑とお婆さん 
 お墓は(いわれた通り)本堂裏にありました。
 墓石の一部が削り取られているのが気になりました。
 墓石に傷つけるとはとんだ不心得者。ろくな死に方はしないぞ。
龍源寺・本堂 
 近藤勇の辞世の歌碑もあります。
 右手に近藤勇、勇の娘婿勇五郎(勇の長兄音五郎の次男)、勇五郎の子久太郎、新吉の墓も。
近藤勇・墓 
 説明書きにはこう書かれています。
 「近藤勇は慶応四年四月二十五日に板橋において刑死。勇の娘婿(甥)宮川勇五郎は板橋の刑場で肩の鉄砲傷(慶応三年伏見墨染付近で負傷)を目印に首のない勇の遺体を掘り起こし、上石原村の生家近くにある龍源寺へ埋葬した」
近藤勇・辞世の歌碑 
 近藤勇の墓は他にも板橋駅東口にあります。 
 これは元新選組・長倉新八(杉村義衛)が最初の屍を埋めた斬首の地に、土方歳三への追悼の意味も含めて建立したもので両者並んでおり、後に長倉新八の墓碑も。
勇五郎ら子孫の墓 
 近藤勇の首は京都の三条河原に晒された後、誰かに持ち去られたとなっていますが、昭和33年、愛知県岡崎市の法蔵寺に埋葬されていたという説が浮上しました。
 詳細は省略しますが、三条河原近くの僧が哀れに思い、こっそりと運んだそうです。

 近藤神社にもどって、人見街道を挟んだ向かいにある撥雲館(はつうんかん)跡。
 ここは近藤勇から天然理心流を引き継いだ娘婿勇五郎が明治9年(1876)に開いた剣術道場。「撥雲」とは暗雲を取り除くという意味で、山岡鉄舟が訪れた際に命名したとか。
撥雲館跡 
 門人は最盛期には多摩地域に3000人いたそうです。昭和6年(1931)に改築され、昭和50年代まで稽古が続けられたそうですが、その後は公共の体育館で続けられ、ここは完全に廃止されました。
天然理心流の碑(龍源寺山門横) 
 この道場跡、今は個人の住宅の敷地内にあるので、なかには入れません。
 その個人とは、なんと「近藤」さん。してみると子孫の方?
 興味が涌きましたが、ご迷惑なので訪問せずにそこを辞しました。

 「ここの一家はみんないい顔してるよ」
 あのお婆さんのことばを思い浮かべながら。
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