O君と別れ、取手の友と日本橋人形町界隈を歩いていて、「おや?」
 「玄冶店(げんやだな)跡」の標識が目につきました。
玄冶店の碑 
 「玄冶店って、春日八郎の『お富さん』(1954)に出てくる(♪エーサオー げんやだな)
やろ?」
 「そうや、そこ知ってるで」
 取手の友の案内で、玄冶店のあった場所(料亭「濱田屋」)の前を通りました。そして橘稲荷。
 「これがそうや」
 「なるほど」

 玄冶店というのは将軍家の御典医・岡本玄冶(1587~1645)の邸宅があったところ。
 その玄冶店が有名になったのは歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)
 この話は義母からよく聞かされましたが、何度聞いてもよくわからない。
 これは義母の説明が悪いというより、物語自体に整合性がないからではないか。



 ざっとストーリーを述べますと、
 江戸の大店伊豆屋の若旦那・与三郎は身を持ち崩し、木更津の親類に預けられていましたが、あるとき木更津の浜でお富(地元の親分の妾)とすれ違い、互いに一目惚れします。
 ふたりの情事は露見し、与三郎は手下にめった斬りにされ、お富は追われて海に身投げしますが、船で通りかかった和泉屋の大番頭多左衛門に助けられます。
 3年後、与三郎は34ヶ所の刀傷を売りものにする無頼漢となり、あるとき仲間と日本橋にある妾の家を強請(ゆす)りに行きます。この妾こそ3年前に死んだはずのお富。
 「これお富、ひさしぶりだなア…」
 
 ここがこの演目最大の山場で、この邸宅(歌舞伎では源氏店)こそ玄冶店。
 歌謡曲「お富さん」はこの再会シーンを歌にしたものです。
玄冶店のあったところ
 しかしこの歌は原作とは全くの換骨奪胎。
 ふたりの再会をあっけらかんと歌にしていますが、そもそも与三郎はごろつきで、妾宅に金を強請りに行き、相手が(愛する)お富とわかっても、「♪これで一分(はした金)じゃ、すまされめえ」と脅しています。この男の目的はあくまでも金。そのくせ「♪愚痴はよそうぜ、お富さん」なんて、よくいうよ。愚痴ってるのはお前(与三郎)じゃないか。

 歌詞はデタラメでも、「お富さん」は軽快なリズムと春日八郎の歌唱力で大ヒットしました。
 私たちも子ども時代、わけもわからず歌ったものです。
橘稲荷 
 もっとも原作自体がごろつき男と浮気女の「惚れた腫れた」を描いたもので、男と女の再会の感動なんてあったもんじゃない。同じ再会ものでも、ケーリー・グラントとデボラ・カーの「めぐり逢い」(1957)とはまるで違います。 

 さて与三郎のその後ですが、ますます悪者になり、捕らえられて島流しになり、なんとかそこを抜け出し、父親の伊豆屋喜兵衛に会い、宿敵(木更津の親分)にも会い、最後は与三郎の傷痕が消えるという荒唐無稽な話です。

 もっとも歌舞伎は観てないのでなんともいえないのですが、この物語をまともに説明できる人は少ないのではないか、そんな気がします。
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