2015.05.15 弁天橋
 大佛次郎の「開化もの」に惹かれて、私が横浜に通い始めたころは弁天橋がその起点でした。
 渋谷から東横線でくると、終点が桜木町。
 そこから大桟橋や山下公園に向かうには、まず弁天橋を渡らねばならなかったから。
弁天橋① 
 当時はみなとみらい地区はなかったし、野毛方面に向かうのは5回に1回ぐらい。
 ほとんどが弁天橋を渡って本町通り(国道133号)→万国橋通り→海岸通り……というコースでした。

 弁天橋ができたのは明治4年(1871)、
 当時は横浜港と東海道を結ぶには吉田橋(派大岡川)を渡り、野毛橋(現・都橋)(大岡川)を渡って横浜道を行くしかなかったのですが、交通量の増加とともに海岸よりの近道がつくられ、大岡川を渡る橋も新たにつくられました。それがこの橋。
 当時この橋の東詰付近(神奈川歴史博物館あたり?)に洲干弁天社があったので、弁天橋と命名されました。(神社はのちに羽衣町に移転)
大岡川 
 翌明治5年に鉄道が開通し、横浜駅(現・桜木町駅)ができると、交通量もますます増え、初代の橋の腐朽によって明治6年に木造のアーチ橋に架け替えられました。
 橋台と橋脚はレンガを巻いた鉄筋コンクリート製、幅6~7mの車道に幅1mほどの歩道がついていて、四隅の橋柱にはガス灯が設けられていたそうです。
弁天橋から見るみなとみらい地区① 
 その後弁天橋はプレート状の鈑桁橋に架け替えられ(1908)、関東大震災(1923)では被災したものの落橋は免れ、1928年に復旧しました。
 この橋も鋼材の腐食により昭和51年(1976)に架け替えられました。これが現在の橋です。(4代目)

 橋長は54.4m、幅は27m(車道18m、歩道各4.5m)。橋のたもとの4本の親柱は船の帆をモチーフにしたものだそうです。
 船の帆だったのか。なぜここに加藤清正の兜が? と不思議に思っていたのですが。
弁天橋② 
 その弁天橋もみなとみらい線開通(平成16年=2004)とともに寄らなくなりました。
 東横線の横浜駅~桜木町駅間が廃止されたからです。
 当時はそれが不満だったのですが、直通で馬車道や中華街・元町に行けるので、専らみなとみらい線を利用。現金なものです。
弁天橋から見るみなとみらい地区② 
 去年ここを通ったとき、下流方向の両岸が階段状のデッキになっていました。
 「しばらく見なかったからなあ」
 遠くにランドマークタワーやインターコンチネンタルホテルなどが見えて、なかかなの風情。

 燕来て弁天橋の様変り

 露骨な句になりました。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/838-9f663325