墓参りが終ると、いつもなら元の山道を下りて若王子(→哲学の道)にもどるのですが、今回は「新島襄・八重夫妻」の墓に向かいました。夫妻の墓はまだ先にあります。
 
 若王子山の山頂一帯は共同墓地になっていますが、なかに鉄柵で囲ってあるところがあり、正面が新島襄の墓。その左どなりに八重の墓があります。
 左の側面には八重の兄・山本覚馬の墓。
新島襄の墓 
 どうしても綾瀬はるか(八重)、西島秀俊(覚馬)が目に浮かびます。
 とくに八重さんは実物の写真を見ると、やっぱり綾瀬はるかのほうが……(失礼)。
八重の墓 
 ここへは父親と墓参りしたときよく寄りました。父は同志社大学の出身で、「新島襄はわが恩師」といいました。それも直接習ったような口ぶりでした。
  
 しかし新島襄が亡くなったのは明治25年。父が生まれたのはそのずっと後なので、かすってもいない。父のいうことは思わせぶりなだけで、すぐバレるうそ。一体何を誇示したかったのか。
山本覚馬の墓
 この一郭は徳富蘇峰(覚馬のとなり)の墓もあり、同志社の関係者の多くが眠っています。
 これでは学生の墓参が恒例行事になるのも宣(むべ)なるかな。
 おかげで道は整備され、歩きやすくなりました。(登山口には杖まで用意されています)
* 
 そこを出て、帰りは南禅寺方向へ下りました。
 こちらの道はいく分勾配がゆるやかですが、舗装もされず木の切り株や落ちた枝が放置されています。まして雨の降った翌朝なので道がぬかるみ、歩き難いことこの上ない。
 それだけ人通りが少ないということか。

 こんなことなら若王子のほうに下りればよかったか、一瞬そんなことも思いましたが、もう遅い。足は下り続けています。
下りの山道① 
 そういえば昔、墓参の帰り、爺さんと孫らしき女の子ふたりとすれ違ったことがあります。
 こっちが「こんにちわ」と声をかけると、爺さんは返事をしたのですが、子どもたちはきょとんとした顔。すれ違ったあとで爺さんに「知ってる人?」と聞いてました。
下りの山道②
 やいジジイ、山ですれ違ったときのルール(礼儀)ぐらい、孫に教えとけ。
 どうも京都の女性は(見知らぬ人への)社交性に欠ける、その原因は幼少時の躾か……なんて思ったことも。
* 
 そんなことを思い出しながら歩いているうちに視界が急に開け、ザーッと滝の音が聞こえています。いつの間にか滝の上に出ていました。(新島襄の墓から約15分でした)
滝の上に出た 
 そうそう、ここは滝行をするところだった。
 滝の下に下りる途中に洞穴があり、厳島弁財天と大日如来が祀られていました。
洞穴 
 この滝は「駒ヶ滝」、南禅寺(最勝院)の敷地です。
滝行の場 修行の滝 
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