一昨日(04/18)、昨日(04/19)とNHKスペシャル「戦後70年・日本人と象徴天皇」を観ました。 
 取り立てて新しい事実は出てこず、私にとってはほとんど承知していることばかりですが、観る意義はじゅうぶんありました。
NHKスペシャル① 
 それは昭和天皇も今の天皇も、今の内閣がどのような「屁理屈」を弄そうが、「日本が起こした太平洋戦争は侵略戦争であった」と位置づけ、「なんとかこれを回避できなかったか」との反省を持たれていたということです。

 戦前・戦中、世界各国は「太平洋戦争は天皇の名の下に行われた」と認識していました。
 わが国でも大部分の国民はそう思っていました。私も、「日本の兵士は、死ぬ間際に『天皇陛下万歳!』と叫ぶ」と聞かされていました。
 となれば、(昭和)天皇は戦争の第一の責任者ではないか。
NHKスペシャル② 
 しかし戦後、天皇の手記や談話によると、「(戦前の)立憲君主制というのは議会で決められたことを承認するだけなので、天皇の立場から異論を唱えることは一切できなかった」といいます。したがって「真珠湾攻撃は自分の意志ではなかった」
 ただし昭和天皇が自らの意思を通したことが2回ある。それは「二・二六事件」のときの叛乱将校を逆賊としたこと、そして太平洋戦争終結の「玉音放送」を決行したこと、といいます。

 これは天皇の責任逃れの方便ではなく、事実でした。
 (現に天皇は責任逃れするつもりはなく、マッカーサー元帥には「私はどうなってもかまわない」と首を差し出しています)
NHKスペシャル③ 
 太平洋戦争では自国民に多くの犠牲者を出したのみならず、アジア各国にも多大な損害を与えた。この責任を誰が負うのか。国の指導者か、国民すべてか、それとも天皇か。

 事実「天皇を処刑すべし」という意見も連合国のなかで30%ぐらいありました。
 しかし日本人の国民性を重視したアメリカはその意見には与せず、
 「天皇も日本国民も犠牲者ともいえるので、戦争責任に関しては不問にする。したがって国家倍賞はゼロ、その代わり14人のA級戦犯を処刑して、これを永遠に世に出さないこととする」
 という裁定を下しました。(サンフランシスコ講和条約)
 
 これはアジア各国の多大な被害からすれば、圧倒的に寛大な処置です。
 (あれは戦勝国が力ずくでやったことだ、というのは違います。あの時点で日本国民の大半は「やれ、助かった」と胸を撫で下ろしました。あとであれこれいうのはみっともない)
NHKスペシャル④ 
 天皇はその寛大な処置に甘えることなく、精力的に日本各地を「行幸」し、敗戦で打ちひしがれた国民を勇気づけました。そしてアメリカをはじめ、ヨーロッパ各国を歴訪。これは一面では謝罪の旅でもありました。

 一方で1978年靖国神社がA級戦犯を合祀したとき天皇は不快感を示し、同神社への参拝は一切しなくなりました。これについては、その口惜しさを短歌に詠まれました。

 この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし

 のちに出てきた侍従のメモ書きには「相当お怒りであった」とのこと。
NHKスペシャル⑤ 
 その意志は今の天皇にも引き継がれています。
 国家の指導者は「A級戦犯を世に出さない」というのは、日本が世界に示した約束ごと。
 それを天皇はきちんと守って、靖国参拝は絶対になさらないのです。
 中国や韓国がうるさいから、という理由ではありません。
NHKスペシャル⑥
 それに加えて、私は今の天皇に敬意を抱いたことがあります。
 それは数年前の園遊会で、某棋士が愛国教育の一環として「国旗称揚、国歌斉唱をやらせております」といったとき、「強制にならないことが望ましい」といわれたこと。

 国を愛するというのは、恋愛と同じで、強制するものではない。
 女性に対して「オレのことを愛せよ」という男がみっともないのと同様、国家が国民に「国を愛せよ」と強制するのは国として卑しい。
 それよりも国家の側が愛されるに相応しい国になれよ。
 国家が国民を大事にすれば、国民は自然に国を愛するようになるんだから。
NHKスペシャル⑦ 
 私は日本の歴史や文化を学んで、「なんと素晴しい国だろう」と思い、幕末~明治初期にきた外国人の目から見た日本を描いた「逝きし世の面影」(渡辺京二・著)を読んで、「なんと素朴で無欲な人たちなのだろう」と日本人が好きになりました。
 国を愛するとはこういうことです。

 今の天皇はそれを実戦しているのではないか。
 このドキュメンタリーからはそんな印象を受けました。
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