「気に食わないことを書かれた」といってメディアの人たちを殺害する、あってはならないことです。
 今回のイスラム過激派による新聞社襲撃事件の非道さはいうまでもありません。
 「ペンは暴力に屈してはならない」
 「表現の自由を守れ!」
 たしかにその通りです。
 私もライターの端くれ。表現の自由は大切だと思います。

 しかし一方では「何を書いてもいい」というものではないとも思います。
 今回の事件の発端となったムハンマド(マホメット=イスラム教の預言者)の風刺画は、イスラム教への配慮を著しく欠いています。
 私は2年ほど前、代々木上原にあるイスラム寺院(東京ジャーミィ)を見学したことがあります。
 礼拝堂は広くて厳かな雰囲気でしたが、意外に明るくて開放的な印象を受けました。
 神社では拍手(かしわで)を打ち、仏閣では手を合わせ、カトリック教会では十字を切る私ですが、イスラム教には無知なので正座して瞑目するのみでした。
代々木上原にあるイスラム寺院 
 神社には御神体、仏閣には仏像、キリスト教会にはキリスト像(あるいはマリア像)が祀られていますが、イスラム教にはありません。偶像を持たないのがイスラム教の教義です。
 私にとってイスラム教は不可解です。
 例えば女性の顔出しを禁じるとか、女性の社会進出、教育も禁止、そして一夫多妻制。日本にはそぐわないと思います。
 しかしそれらは日本とはまったく違う、厳しい砂漠の自然に晒された遊牧民のなかから、彼らの必然性によって生まれたもの。我われがとやかく批判できるものではありません。
礼拝堂 
 「大上段からの批判はともかく、軽い揶揄ぐらいならいいのでは」
 といわれるかもしれませんが、それもよくないと思います。
 揶揄する側にその気はなくても、受け取る側は傷つくかもしれないからです。
 昔、日本人を揶揄した風刺画が欧米に出回ったことがあります。
 その絵とは、「メガネをかけ、カメラをぶら下げた出歯カメ男」(女性は芸者ガール)で、我われにとってははなはだ感じの悪いものでしたが、「これが欧米流のユーモア」とあきらめました。

 わが国でフランスの風刺画が問題になったのは、2年ほど前のサッカーのゴールキーパーがきたボールを数本の手でことごとく防御している画像。この主旨は「原発事故による放射能の影響でこのような奇形(?)の選手が現れた」とのこと。
 「日本の選手を奇形扱いするとは何ごとだ」と抗議しても、「我われは原発事故を批判しているのであって、そんな抗議は的外れ」とどこ吹く風でした。
天井のドーム 
 風刺画というのは、フランス人の考え方では、権力や権威あるものを揶揄するというものです。
 それが言論の自由である、と。

 数日前、わが国の道路標識に「芸術表現」と標榜して独自のステッカーを貼った女性が逮捕されました。これもフランスの人。
 この人によると「道路標識は権力側から押し付けられたもの」との解釈です。これも権力への揶揄?
 しかし道路標識は権力側のものではなく、交通事故防止のために制定されたもので、みんなのもの。それをこのフランス女性ははき違えています。
 詳しいことはわかりませんが、フランスの新聞社は「ムハンマドという宗教の権威を揶揄したまでだ」と主張するのかもしれません。
 しかしその揶揄は、指導者(権威?)ではなくそれを信奉する無辜の教徒に向けられている、と新聞社は考えないのか。
 それで傷つくとか、怒る人がいたら、「ユーモアのわからないヤツ」と一蹴するのでしょうか。

 それかあらぬか、この新聞社はまた新しくムハンマドの風刺画を掲載しました。
 「こんなこと(テロ)には屈しないぞ」といわんばかりです。
 おかげでこの新聞は500万部(通常は3万部程度)もの売れ行きだったそうです。
 たしかに正しいことなら屈してはいけないと思います。
 しかし、本当に正しいのか。
 そもそもフランスの民主主義の根幹は、「自由、平等、博愛」のはず。イスラム教徒への配慮を欠いたことによって、(表現の)自由を標榜するあまり博愛の精神にもとっているのではないか。

 フランス人はアメリカ人に比べて柔軟性があると思っていたけど、ここへきて完全にフランス人観が変わりました。独善的で、頑なな国民性。
 これでは対立はますます激化すると思うのですが……。
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