今年は人間関係が広がり、なにかとつき合いが多くなった年でした。
 そのきっかけは昨年夏の骨折事故。
 怪我で入院してから、骨折仲間ができたのもそうですが、この事故により、人間関係が大きく変わりました。
 その典型が俳句会。
 それまでは近所の俳句会に通っていたのですが、私の入院中に数名のお婆さんたちが多数派工作して、会場を公民館から団地の集会室へ移してしまいました。
 退院後これを知った私は、あまりの暴挙にあきれて脱会しました。
地域の公民館 
 もし私が出席していたら、「公の俳句会なのにそんな勝手は許されない」と反対したので、会場の変更はなく、私はこの俳句会を続けていたでしょう。

 辞めたことによって他市の俳句会に行くようになり、ここで元同業者(編集者)と出会い、急速に親しくなりました。
 この人物は私より二歳年上、俳句歴も長く、いつもトップ賞を獲る実力の持ち主で、私は「達人」と呼んでいます。
新河岸川の花見 
 さらに私のあとから入ってきた俳句の上手なおネエさま。
 この人たちとは俳句会の終了後に茶飲み話をしたり、新河岸川の花見や菖蒲園に行くようになりました。
 以前の俳句会では考えられなかったことです。
 今年4月の高校の同窓会。
 ここでは数多くの同窓生と再会しましたが、最も親しくなったのが二次会で会った女流画家。
 彼女に住所を教えたのがきっかけで文通が始まり、絵画展の招待券が送られてきました。

 このころ京都の写真家から、Aという小中高の同窓生が関東に住んでいると聞き、連絡先を教えてもらい、茨城県取手市在住とのことで新松戸で会うことになりました。それが7月1日。
 当時小学校の同窓会をやろうという気運が上がっていたので、「写真を持ってきて」と頼んだところ、重いアルバムを4~5冊持ってきました。これを見て「誠実なヤツ」と思いました。
絵画展(上野・都美術館) 
 さらに絵画展の案内状を見せて、「4日に行くつもりだけど、行く?」
 彼は即座に「行く」と返事。
 このとき私は4日しか行く日がなく、もし断られたら、ひとりで行くつもりでした。
 そうなると彼と女流画家(マドンナ)との接点はなく、3人で横浜へ行くこともなかった。
 こうしてみると、人と人との結びつきは「紙一重」だとわかります。
 これとは別に、私には千葉県我孫子市に住むMと、東京都武蔵野市に住むSがいます。
 ふたりとも小学校の同窓生。それぞれ別個のつき合いでしたが、「この際一堂に会してやろう」とお茶の水で会うことになりました。それが7月31日。
お茶の水 
 会うなり3人とも「オーッ!」と大興奮。
 とりわけA(取手)とM(我孫子)は小学校では同じクラスだったこともあって、たちまち意気投合。利根川を挟んでとなり同士なので、しょっちゅう会うようになりました。
 常磐線コンビ誕生? 予想以上の仲のよさ。
 これぞ仲介者冥利というもので、彼らを見るたび笑いがこみ上げます。
 A君と知り合うことによって大阪のU君、京都のH君と知り合い、小学校の同窓会を手がけるようになってやはり京都のT君、J君、さらに中学の同窓会で新幹事のMO君と親しくなり、メールのやり取りが急激に増えました。

 先日も取手のA君から電話。とくに用事はないのですが、「ロンリークリスマスを送っているやろ」と慰めの(?)電話。「よけいなお世話や」といいながらも内心はありがたい(?)。こちらの愚痴話も出たりして、すっかり長話になりました。
北白川通り(京都) 
 そういえば数人の友人に愚痴をこぼすようになりました。友人とは愚痴友のこと?
 それもこれも友人が増えたから。
 年取ると交遊関係が先細りになるといわれているけど、私は逆。60代の半ばごろからどんどん増えてきました。以前が少なかったこともありますが、これはけっこうなこと。

 これはやはり昨年夏の大怪我がきっかけ。
 このときから「人には会っておこう」という意欲が強くなりました。
 それが相手にも伝わり、友人の輪が広がったのだと思われます。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/712-936eaf8b