道玄坂を下り、山手線のガードを越えた反対側(青山方面)の上り坂が宮益坂です。

 上京した当時、私は地下鉄銀座線の渋谷駅がどうして地上3階にあるのか不思議でしたが、この坂を見ると納得できます。
 渋谷は名の通り谷底の地、東側は山(青山)。
 当時(昭和12年)は谷底に地下鉄を掘るよりも地上に出したほうが楽だったようで、渋谷の高架駅から山の中腹にトンネルを穿って地中に入れる方法がとられました。(四谷、お茶の水、後楽園も同じ)
地下鉄銀座線 
 宮益坂の標識には次のように書かれています。
 「かって、富士見坂とも呼ばれていたこの坂一帯は古くから矢倉往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村の接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました」
宮益坂・上り 
 宮益町と称されていたのは、この坂の途中に千代田稲荷(現在の御嶽神社)があったからだそうです。
 名の通り昔はこの坂から富士山が見えましたが、坂下の左側に東横デパートができると、見えなくなりました。
 坂の上は「国道246号」と合流し、青山通りになります。
 宮益坂のほうは大学側(青山学院)のため風俗店はほとんどなく、こちらには用なしでしたが、一度息子とこの坂を上ったことがあります。
 この坂上から青学側に下りたところに「Seabird」というジャズ喫茶があり、従弟のライブ演奏が行われたからです。
御嶽神社 
 当時息子は高校2年生。一応進学志望でしたが、担任からは「こんな成績では大学は受からないぞ」といわれてました。当人も落ち込んでいた(?)ようです。
 父親としてはどうすることもできないので、気分転換(?)のために連れて行ったというわけです。
宮益坂上 
 従弟はオーディオメーカーのパッケージを手がけるデザイナーですが、ジャズピアノもなかなかの腕前(自称大森のWinton Kerry?)で、年に2~3回ジャムセッションを行いました。
 このときのメンバーはピアノ(従弟)に、ドラム、ベース、ヴォーカル(女性)のカルテット。
 乗りもよく、それぞれの持ち味が出ていました。好きな「Softly, As in a Morning Sunrise」も聴けたし。
 ときどき小さなミスがあり、メンバーが顔を見合わせて苦笑するという場面もありましたが、それもジャズの面白さ。

 しかし私が演奏に気を取られている間に、息子はバーボンを飲みながら演奏を聴いてました。
 「この野郎!」と思ったものの、怒る気にはなれなかったのはあまりのふてぶてしさに成長を感じたからです。
宮益坂・下り 
 「なかなかよかったね」
 坂を下りての帰り道、息子がボソリといいました。勝手にバーボン飲みやがって。
 しかしこのときから息子は急に大人になっていったような気がします。
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