私の学生時代はジャズ喫茶全盛の時代でした。
 新宿には「DIG」「DUG」「Village Gate」「びざーる」「木馬」「Pit Inn」があり、渋谷には「Sub」「Blackhalk」「Genius」「Swing」がありました。
 私は大学が東横線だった関係で、もっぱら渋谷。それも道玄坂の「Swing」でした。
  *
 しかし自由が丘の「5Spot」を発見してからは、渋谷からは遠ざかりました。
 自由が丘は大井町への乗換駅。しかも「5Spot」はジャズ評論家いソノてルヲ氏が経営する店で、当時は鈴木勲さん(ベース)や日野皓正さん(トランペット)が出ていました。
 その割に料金も安かったので、我われ学生でも気軽に入れました。
道玄坂・下り 
 その後、学生寮を出て浜田山(井の頭線)に引っ越してからは明大前「マイルス」に通うようになりました。
 ここでよく聴いたのが、Bud Powell「Cleopatra's Dream」、Wes Montgomery「A Day in The Life」、John Coltrane「My Favorite Things」ですが、当時は夜10時をすぎると演歌がかかりました。緑川アコ「夢は夜開く」、竹越ひろ子「カスバの女」「東京流れ者」、扇ひろ子「新宿ブルース」はここで聴きました。
明大前「マイルス」 
 「コルトレーンもいいけど竹越ひろ子もいいねえ」とはマスターの口癖でした。
 ジャズをがんがん聴いたあとに聴く演歌は不思議にマッチして、身体にしみ込みました。
 学園闘争が終ると私はキャンパスを離れ、新宿の出版社に勤めるようになって、家庭を持ってからは、ジャズ喫茶へはほとんど行かなくなりました。
 そのころからジャズ喫茶は廃れはじめ、新宿、渋谷のジャズ喫茶はどんどん消えていきました。
ムルギーは健在 
 数年後、私はフリーのライターになり、風俗の取材も手がけるようになりました。
 そこで再び通うようになったのが、道玄坂・百軒店の風俗街。
 昔ジャズ喫茶のあったところは、ほとんど風俗店に変わっていました。
 「なんとまあ、変われば変わるものだ」
 もう笑うしかありません。
Swingのあったところ Subのあったところ(右)
 風俗の取材というのは風俗嬢にインタビューして写真を撮り、そのプロフィールを週刊誌や夕刊紙に記事を書く仕事です。
 それ自体は単純な作業ですが、ときとしてディープな領域に足を踏み入れることもあり、毎日が刺激的で、スリルの連続。私はここからいろんなことを学びました。
 道玄坂の由来について、渋谷道玄坂公式サイトでは次の二説が上げられています。
 ①この辺りに道玄庵という寺があったので、道玄坂といわれようになった。
 ②大和田太郎道玄という和田義盛一族の残党の子孫がこの辺りで山賊となっていたので、道玄坂の名がついた。
百軒店から道玄坂を見る 
 どちらが正しいか明らかではありませんが、私は②の説を取ります。
 殺伐としていますが、由来というのは案外そんなもの。
 山賊の巣窟から、ディープな街への変遷。両者には共通点があるような気がするからです。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/673-f486c2ec