目黒区にある柿の木坂は都立大学駅の前から大学へ向かうなだらかな坂道です。
 この駅に降り立ったのは2年前。
 大学を離れてからも、このあたりはちょくちょくきていたので、少しずつ変化していることに気づいているはずなのに、学生時代の印象が強いため、浦島太郎のような気になります。
都立大学駅 
 駅近くにある遊歩道は、昔はドブ川(呑川)で、一角に小さなラーメン店がありました。
 店主はぶっきらぼうなオヤジで、注文を聞くと「ラーメン一発!」と復唱。
 手際よくラーメンを盛りつけると、最後に小さなウズラの卵を左手でつまみ、大きな包丁で浅右衛門よろしくスパッと横切りして、中身を落とし入れ、「へい、お待ち!」
ドブ川も今は遊歩道に 
 味は脂っこく、ボリュームがあり、学生に人気がありました。
 今はもうありません。多分美容室(写真)あたりが……。
 
 駅前の通りを北に進むと上り坂。これが柿の木坂です。
 当時あった喫茶店、「ロワール」「パンセ」「コニーク」「アイリス」、炒飯が美味かった中華料理店(ゴキブリ亭?)はもうありません。
 私が初めて麻雀を覚えた雀荘も、古書店「都立書房」も……。
 柿の木坂の由来は諸説あって、
 ①坂の近くに大きな柿の木があった。
 ②柿を運ぶ車から子どもが柿を抜き盗んだ「柿抜き坂」が転じた。
 ③人家が少なく暗くなると人々が駆け抜けて通った「駆け抜け坂」が転じた。

 ①は「さもありなん」、②も聞いたことはあります。
柿の木坂・上り 
 しかし「Wikipedia」によると、この名がついていた当時、柿の木があったという記録はなく、今では次の説が有力であるとのこと。
 「当時の柿の木坂は周囲の農家や商人が大八車に荷物を載せて行き来するために使われ、急で長く続く坂を登るのは慣れていても大変な作業であった。
 そのため登坂中にはスリに荷物を盗まれる事も多く、積荷を荷台から抜き取る行為が『引っ掻き抜く』と呼ばれていた。
 それが転じて『掻き抜き坂』となり、明治の初め頃には『柿』が当て字として広く遣われるようになり現在の地名の元となった」
柿の木坂・下り
 なんだ、そんな殺伐とした由来だったのか。
 当方は歌謡曲の「♪柿の木坂は 駅まで三里……」(青木光一)のようなほのぼのとしたイメージを抱いていただけにガックリ。
 坂を上りきった左手が母校のあったところ。
 ここは1991年に八王子の南大沢に移転しました。移転後一度きたことがあります。
 大学のA棟、B棟は跡形もなく、結婚式場(?)になっているのを見たときは思わず笑いました。
 今はそれもなくなって「目黒区民キャンパス公園」です。まさに「万物は流転する」
 もっとも裏に、「ここに大学があった」と門跡の一部が残されています。
キャンパス公園 大学の門跡
 向かいのパン屋「旭ベーカリー」はまだありました。
 ここは、ゆで卵を刻んだエッグサンドが美味く、よく食べました。
 大学が移転して、利用客がごっそりなくなったというのに、よく持ちこたえてきました。味で近所の支持を得ていたのでしょうか。
パン屋 
 「柿の木坂の殺伐とした由来のなかで、唯一心温まる話はこれか」
 そんな思いで、坂を下りました。
 
 ※都立大学は現在、首都大学東京と名前が変わっています。東横線「都立大学」の駅名はそのままです。
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