JR山手駅の南西に根岸外国人墓地があります。
 山手の外国人墓地が手狭になったため、明治13年(1880)根岸の山の斜面を墓地候補にしましたが、管理をめぐって日本側と外国側が揉め、ようやく明治35年(1902)、横浜市の管理によって墓地の利用が開始されました。

 なにやら最初から不穏な空気ですが……。
墓地入口

 その後、大正12年(1924)に関東大震災が起こりましたが、それによる外国人犠牲者の多くはここに埋葬されているそうです。

 また第二次大戦中に横浜港でドイツ軍艦爆発事故が起こりましたが、このときのドイツ人犠牲者は、将校たちは山手の墓地に、水兵たちはここに埋葬されたとか。 
墓石①

 さらに第二次世界大戦後、占領軍兵士と日本女性との間に生まれ、祝福されないまま亡くなった混血児たち900人ほどもここに埋葬されているそうです。

 ただこの墓地は、第二次大戦後占領・接収されていて記録類が消失したため、正確なことはわからないとのこと。
 埋葬者は1200人ほどで現存する墓標は200基弱ですが、経済的な理由で石碑を建てられない外国人も多かったといわれています。
墓石②
 
 この墓地は進駐軍が撤退したあとは放置され、荒廃はなはだしく、市議会でも問題になりました。その後横浜市立仲尾台中学校と横浜市立立野小学校の生徒らによって整備され、昭和56年(1982)には管理人も置かれました。
 さらに、墓標もないまま根岸外国人墓地に眠る子どもたちを慰霊するモニュメントが平成11年(1999)建てられました。
墓石③

 私がこの墓地を知ったのは、山崎洋子「天使はブルースを歌う」(毎日新聞社・1999)によってですが、観光地横浜の暗部を見た思いでした。
墓石④

 「たしかにマイナーなところだ」
 山手の外国人墓地に比べると、ひっそりしています。木々が鬱蒼として、墓石もまばら。
 寂しくて、どうも居心地が悪い。墓参者は誰もいないし。
 ただし手入れはきちんとされていて、この日もおじさんが機械で雑草を刈っていました。
慰励碑

 墓地は3層に分かれており、モニュメントは入口の層にありました。
 天使の翼を形どったものだそうです。
 思わず手を合わせました。
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