今や地上300mの「あべのハルカス」が話題になっているなか、池袋「サンシャイン60」になんの意味がある、といわれるかもしれませんが、ここは昔「巣鴨拘置所」でした。
公園からみたサンシャイン60
 戦時中はここで「ゾルゲ事件」のリヒャルト・ゾルゲの死刑が執行されました。
 戦後(1945年秋)からは1958年春まではGHQが接収し、と称され、東條英機など主な戦犯が収容されました。いわゆる「巣鴨プリズン」です。
 そしてここで死刑執行されました。
東池袋中央公園①
 サンシャインのとなりに「東池袋中央公園」があります。
 水の広場の周囲にはベンチもあって、サラリーマンやOLが休んでいる姿を見かけます。またスケートボードやダンスに興じる若者の姿を見ることもできます。
東池袋中央公園②
 その隅にこんもりした植え込みがあり、石碑が建てられています。
 表には「永久平和を願って」と刻まれ、裏にはこう刻まれています。
 「第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、ここで執行された。戦争により悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和55年6月」

 太平洋戦争は国の指導者だけが悪いのではありません。
 「一億総火の玉」といって、国民こぞって(一部反対者もいたけど)戦争を支えていました。
 そこでアメリカは「じゃあ日本国民は覚悟の上なのだな」と原爆を落としました。
 これは人道的に許されることではありませんが、アメリカとすれば総力戦という認識なので、かつて騎兵隊が先住民を根絶やしにしようとした(サンドクリークの虐殺=1864)感覚で原爆投下したのです。
平和記念碑
 そして終戦になってアメリカ軍が占領し、連合国で「この日本をどう処罰するか」が問題になりました。
 本来ならば天皇を含む日本国民全体が重罪に処せられるところ、「天皇や日本国民はむしろ犠牲者。侵略戦争を遂行した国の指導者のみを罰するだけでよしとする」という圧倒的に寛大な処置ですんだわけです。
 こうして東条英機らA級戦犯が処刑されました。これは国際的な約束ごとです。

 これさえ踏まえていれば、近隣国から戦争責任を追及されても、「それは愚かな先人のやったこと。今の我われに責任はない」と突っぱねられるのです。
石碑の裏
 逆にいうと、先人の愚行を一手に引き受けてくれたのがここで処刑された14人のA級戦犯。その意味では彼らも犠牲者、というか我われの「恩人」でもあります。

 だからといってA級戦犯が合祀された靖国神社に首相が参拝していいものではありません。
 これは国際的に見れば、ドイツのシュミット首相がヒトラーの墓参りするようなもの。

 この石碑に手を合わせたとき、首相が本当に不戦を誓うなら、ここでこそ手を合わせるべきではないか、と思いました。
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