2014.03.11 あれから3年
 東日本大震災から3年経ちました。
 当日のことはその翌日(11/03/12)のブログで述べたので省略しますが、TVのニュースを見て、「こんな酷いことがあっていいものか」と思いました。
 その後約2ヵ月間ほとんど震災に関連したことばかり書いていました。

 連日のニュースでは被災地の悲しい報道が多く、首都圏でも計画停電が実施され、納豆、ヨーグルトなどの食料品、ペットボトルの水、トイレットペーパーや電池などの生活物資が買いにくくなりました。
 これは停電のため生産が低下して、実際に物資が不足したのですが、買いだめに走った人もいました。その大半は我われ年配者です。
 千葉では沈下した舗道を若者が率先して修復し、東北の被災地では中高生が避難所の運営に当たったというのに、首都圏の年配者は食料品や日用品を買い漁るだけ。

 我われ世代はオイル・ショックのとき上の世代がトイレットペーパーに狂奔する姿を見て、「あんな見っともない真似はしないぞ」と思ったはずなのに、そのときがきたらこれか。一体なにを学んだのか。
 そんな自戒のことばが多かったと思います。

 友人との会話も変わりました。
 「東北のニュースを見ると辛くてなあ。見るたび涙がこぼれるよ」
 「オレなんかつくづく幸せだと思ったよ」
 「東北の人は我慢強いなあ。みんな純朴でいい人たちばっかりじゃないか。それがなんでこんな酷い目に遭うのだ。天の配剤は不公平だよ」
 「小さい子どもたちが亡くなるのは痛ましいなあ。せめて幼い命だけでも救えなかったのか」
 「オレは寄付するだけで、ニュースはなるべく見ないようにしてるんだよ」
 この友は、ニュースを見ても自分の無力さに辛くなるだけというから、本心はナイーブなのです。

 「もし大震災に襲われたらどうする」ということも話題になりました。
 これに対して、「オレはもう、いいかな」
 「いや、実際にそうなると、わからんよ。『生きよう』という意欲が湧いてくるのではないか」
 ふだん真剣な話などしたことのない連中とも真面目に論じ合いました。

 「そっちは大丈夫か」
 関西の友人から心配されました。
 大丈夫もなにも、被害に遭われた東北地方を思うと、心配されるのが申しわけないぐらい。
 ときおり余震もありましたが、慣れてくると揺れ具合で「今のは震度2」とか「1かな」とわかるようになりました。 TVで表示を見ると大体当たっています。
 震度3ぐらいではもうおどろかなくなりました。

 当時の我われはナイーブで謙虚でした。
 むろんいつまでも打ちひしがれた気分ではなく、そこから立ち直らねばならないのですが、昨今の政府首脳の様子を見ていると、近隣諸国に対して謙虚な気持ちを失ったように思います。
 私としては、アメリカに諌められる前に気づいてほしかったのですが……。
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