俳句会に関して、お婆さんたちの行動は身勝手だけど、それで会をやめるのも身勝手ではないか、と思われるかもしれません。
 たしかに身勝手。
 しかし私には「選択の自由」があります。そして「自由意志で選んだことについては不満やストレスがあってはならない」と考えています。

 友人関係や習い事、趣味の会などは、自分の自由意志で選んだものです。したがって「我慢や不満」などあろうはずがない。
 「会っても楽しくない」「陰で愚痴や悪口をいっている」関係は真の友人とはいえないのです。

 私には数人の友人がいますが、不満やストレスはまったくありません。
 ときには「変だな」と思うことがありますが、それぐらいなら看過します。
 しかし「コイツ、いやだな」と思ったら、もう終わりです。

 これとは反対に、我慢や義務の伴う関係があります。
 親戚関係や仕事上のつき合いがそうです。
 親戚は切るわけにはいかないし、仕事関係は収入に響いてくるので簡単に切るわけにもいきません。これは私も我慢します。
 このような関係を依存関係といいます。

 しかし自由意志で選んだ関係なのに、往々にして依存関係になってしまうことがあります。
 私の従弟でジャズピアノをやっている男がいます。
 本業は工業デザイナーで、ピアノは趣味。年に何回か都内のジャズ喫茶で他のパートの連中とジャムセッションを行います。
 「いい趣味だね」といったら、「それがけっこう辛いものもあるんですよ。人間関係が」といいました。
 そのいい方が愚痴っぽかったので、「そんなに辛いならやめたら」といいました。
 これは「好きでやってることに不満をこぼしてはいけないよ」という私なりの叱咤激励だったのですが、最終的には理解してくれたようでした。

 理解されなかったケースもあります。
 親戚の年配女性。この人はある踊りの会で日本舞踊をやっていたのですが、「のけ者にされた」とか、「私だけ知らされなかった」など、人間関係の愚痴がしょっちゅう。
 聞くに耐えず、「そんなにいやならやめたら」といったところ、「そうはいかないのよッ。あんたは若いからなにもわからないのよッ」と烈火のごとく怒られました。

 そのとき私はこう思いました。
 「上達のための努力は必要だけど、それはストレスではない。しかし人間関係のトラブルなど自分の努力では手に負えないストレスは我慢する必要はない。自分の意志で選んだ道なのだから、また選び直せばいい」と。

 あれから数年。私はそのときの思いを未だに持ち続け、(俳句会で)実行しました。
 今ではもう故人になっているその女性の墓前でこういいたい。
 「オレはやめたよ。でもなんの不都合もなかったし、むしろ清々したよ」
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