昨夜(01/11)NHKスペシャル「徹底討論 大人の心配×若者の本音」を観ました。
 内容は、大人が「今の若者には覇気がない」といえば、若者が「こんな社会に誰がした」
 それでも、大人が「そんなキミたちを応援していきたい」、若者が「いろんな人の話に耳を傾けて進みたい」……という結末でいささか陳腐な内容でした。

 それよりも私が気になったのは、討論の内容ではなく、ある女性タレント(コラムニスト?)が若い社会学者に対して、「そんなことより、あんた、私のこと、チラチラ見るの、やめてくれます?」といったこと。
 これはこの人一流のジョークなのかもしれませんが、人として最低。
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 人間はこのような会場に限らず、授業中でも、もっといえば礼拝中でも、人が集まれば気になる異性を見ることがあります。

 例えば俳句の会。生徒はUの字状に坐るので、どうしても向かいの席に目が行きます。
 みんな私より年配ですが、とくに目がとまるのは、そのなかでもきれいな女性。
 (この人、きれいだな。若いころはきっと男にモテただろうな。いや、今でもイケるぞ)
 そんなことを思うと、楽しくなります。

 滅多にありませんが、ときとして女性からの視線を感じることもあります。
 けっしていやではありません。たとえ相手がお婆さん(失礼)でも。
 それはなんらかの好意が寄せられていると思うからです。(勘違い?)
 さらに目と目が合ってにっこりされれば、もう天にも昇る気分。
 それだけで人間は生きる張り合いができるのです。

 人間がある特定の人物を長時間見るというのは、「好意を持っている」か「興味がある」からです。

 これは「赤ちゃんは美人を見分けられるか」という実験でも証明されています。
 生後6ヵ月ぐらいの赤ちゃんに、女性の顔写真を次々と見せたところ、美人に対しては長い間見ていたというデータがあります。長時間見るのはなんらかの好感を抱くからです。

 逆にいやな人物なら見ないようにします。私だってそう。
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 それでこの討論会での女性タレントの態度。
 私からすれば、意識過剰に思えました。「何様?」
 むろん若い社会学者からの視線が気になったのでしょうが、それはなんらかの好意的な視線だと思われます。
 受けたほうはひとつの好意として自分のなかにそっとしまい込むのが人間のやさしさというもの。

 むろん女性の場合、不快なことだってあるでしょう。例えば男からのいやらしい目線とか。
 しかしそれとて黙って無視すればいいこと。
 なにも具体的な行為がないうちから騒ぎ立てることはありません。

 そもそもこの討論では「恋愛できない若者」についても論議されていました。
 それからいうと、恋愛とは心のなかで「この人いいな」と思うところから始まるもの。
 そんなことがわからないこの女性タレントに「恋愛できない若者」を批判する資格はありません。

 若者は「こんなおばさんのようになってはいけない」と反面教師にすれば、必ずいい恋愛ができるはずです。
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