2014.01.08 岩亀横丁

 横浜にできた最初の遊廓は横浜公園にその痕跡があると、昨日述べました。日本庭園の入口に「岩亀楼(がんきろう)」と銘打った石燈籠がそれです。(参照

 岩亀楼は遊廓のなかでも最も豪華な遊女屋で、ここには外国人専用の遊女(羅紗緬)が置かれていました。

 この岩亀楼には遊女「亀(喜)遊」の伝説があります。
 彼女は1863年、外国人の一夜妻を店主から命じられたのを拒み、「露をだにいとう大和の女郎花、ふるあめりかに袖はぬらさじ」の句を残して自害しました。
 この話は有吉佐和子の小説「ふるあめりかに袖はぬらさじ」で有名になりましたが、実際にそんな遊女がいたかどうか明らかではありません。

岩亀横丁① 岩亀横丁②

 遊廓はその後あちこちに移転しましたが、新横浜通の雪見橋(西区)から戸部にかけて「岩亀横丁」なる通りがあります。
 「はて、ここに移転したという話は聞いてないが……」
 不思議に思って横丁に入りました。

稲荷の幟 稲荷の入口 奥へ進む

 「おや……?」
 通りのなかほど、店と店の間に「岩亀稲荷」の幟(のぼり)が見えます。どうやら入口らしい。
 細い通路を入ってみると、そこにお稲荷様の祠(ほこら)がありました。

突き当たり 祠

 説明書きによると、
 「当時この横丁に岩亀楼の遊女が静養する寮があったことから、このあたりを『岩亀』と呼び、寮内にあったお稲荷様を『岩亀稲荷』と呼びました。現在では寮はありませんが、今でもお稲荷様は残り、毎年5月25日には盛大に例祭が行われています」とのこと。

露をだに…

 なるほど、ここに遊女たちの寮があったのか。
 これで岩亀横丁の謎が解けました。

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