関東各地の散策もメジャーな観光地だけではなく、目立たないところも取り上げたい。
 それもいわくありげで、なんらかの事情で忘れられたところ。
 それがディープスポットというわけですが、この定義はかなり曖昧。そこで私の独断で選びました。

 そこで昨年の新宿二丁目横浜親不孝通りに続いて第三弾目は横浜市南区の真金町・永楽町界隈。
 ここは有名な横浜遊廓のあったところです。
 以前にも述べましたが、横浜が町の様相を呈しはじめた幕末のころ、湿地帯(太田屋新田)のなかにできた「港崎(みよざき)遊郭」が遊廓の第一号。(横浜公園にその痕跡あり)
 遊廓はその後吉原町(今の羽衣町)に移転し、さらに高島町→長者町→真金町・永楽町に移りました。
遊廓の守護神?金比羅鷲神社
 この永楽町・真金町の遊郭は、明治21年から赤線が廃止される昭和33年まで続きました。
 奥村泰宏・常盤とよ子の写真集「横浜再現 二人で写した敗戦ストーリー」(平凡社)には当時の遊郭内の光景が赤裸々に写し出されています。
 
 店先に立って客を呼び止める娼婦、仕事前(?)に銭湯から出てくる女、歩きながら流行歌の合唱をするふたりの女、さらには検診日の光景もあり、生々しい写真ばかりです。
中央の植え込み  
 しかし今はふつうの住宅街になり、その面影はありません。
 以前唐破風の建物があって、遊廓の風情を思わせましたが、今はそれもなく道の中央に植え込みがあるのがわずかに当時を思わせます。(永楽町にはラブホテルが点在)
昔あった唐破風の家
 永楽町・真金町の遊郭は、新吉田川(運河)を挟んで伊勢佐木町の対岸にありました。そのため「川向こう」と呼ばれました。
 写真集にも対岸の様子を望遠で撮った写真が掲載されています。 
大通り公園
 その川も今は埋め立てられ、大通り公園になって、市民の憩いの場になっています。
 この公園にきてみると、かなり広い川だったことがわかります。むろん当時の面影はありません。

 ちなみに横浜橋商店街の「横浜橋」は、この運河にかかっていた橋のことです。
 今は大通り公園を横切るだけの道になってしまいました。
前の道が旧横浜橋
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