私の母校は京都府立鴨沂(おうき)高校。京都御所の東に隣接しています。
 校名の「鴨沂」とは、京都を流れる鴨川のほとりという意味です。

 本校の前身は、(NHK大河ドラマ「八重の桜」にも出てきた)明治5年(1872)に創設された「新英学校及び女紅場」という名の、我が国最初の公立女学校です。
 もとは丸太町橋の近くでしたが(石碑あり)、明治33年(1900)現在地に移転しました。

 明治37年(1904)京都府立京都第一高等女学校と改称。
 私の母はここの卒業生です。教師を志望していたとのことでしたが……。

 昭和12年(1937)ヘレン・ケラー女史が女学生に向けて、女性の自立を説くスピーチをこの講堂でしています。(これは最近知りました)

 昭和23年(1948)学制改革により他の学校を統合し、「京都府立鴨沂高等学校」に改称。新制高校となり、普通科・商業科を置く。

 昭和××年、我われが入学し、3年後卒業しています。
寺町通り・(左)御所、(右)母校
 制服はなく、自由な校風でした。
 門は常時開放され、生徒は自由に外出することができたので、我われはよく御所の芝生で弁当を食べました。授業をサボって映画を観に行ったこともあります。

 当時には珍しく室内プールがありました。夏休みも開放されていて自由に利用できました。それどころか他校の生徒もOKで、プールには知らない顔ばかりということも。 大らかなものでした。
 
母校通用門
 「おやッ、閉まっている」
 ふだんは開いているはずの通用門がピシャリと閉まっています。
 正門側にも回ってみましたが、ここも完全にシャットアウト。「変だな」
 北側の運動場は門が開いており、プールの建物もありました。
 考えてみると、生徒はおろか教職員ひとりもいない。そんなバカな。土曜日の午後なのに。
 ひょっとしたら……。
運動場・右の建物がプール
 ここで私、同校が建て替えられることを思い出しました。
 同窓生の写真家・永野一晃君のブログにそんなことが書かれていた。
 そのあと出席した同窓会でも、思い出の校舎が取り壊されることを惜しむ声が聞かれました。

 校舎については永野君の写真を。(↓) 
https://www.facebook.com/media/set/? set=a.483547088389789.1073741833.100002035059380&type=1&l=7e4c23106a

 
母校の生徒たちは別のところに移転し、3年後新築されたらもどってくるとのことです。

 母校のとなりに護浄院(通称清荒神)というお寺があります。
 山門をくぐると大きな石の鳥居があるので、「神社?」と思いますが、れっきとした天台宗のお寺です。「火災などの災難除け」のご利益があり、地元では「清(きよし)荒神さん」と呼ばれているそうです。
 「だから、ここを荒神口というのか!」(今ごろ気づいても遅いんだよ)
護浄院(清荒神)
 荒神口の交差点に出ました。
 「たしかここにあったはずだが」。東側上ルの「しゃんくれーる」
 倉橋由美子の「暗い旅」にも出てきた有名なジャズ喫茶です。私は関西に引っ越した友人と一度入ったことがあります。1階と2階があり、けっこう盛況してました。(参照
荒神口交差点
 しかし、その場所には……ない。
 別の名前の喫茶店になっています。それでも入りました。
 腹が空いたのでランチ(チキンケバブ?)を頼みました。味はまあまあ。
喫茶店 ランチ
 「この店はいつからオープンしているのですか」と女店員さんに聞くと、「2年前です」
 「その前は『しゃんくれーる』というジャズ喫茶ではなかった?」
 「いえ、お寿司屋さんでしたけど」
 しゃんくれーるのことを聞いても、「さあ……」と首を傾げるばかり。
 とっくの昔になくなっていたことを知り、愕然とした思いでそこをあとにしました。
荒神橋 荒神橋から見る鴨川上流
 「無理もない。あれから40年近く経ってるからなあ」
 その友人とも音信不通。
 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず……。
 荒神橋から鴨川の流れを見つめました。
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