同窓会は河原町三条にあるビアホールの宴会場で行われました。
 私が着いたのは開宴15分前。出席者は34名。中学に比べると人数も出席率も圧倒的に少ない。
 「A君やないか、オレだよ」
 近くにいた小学校の同級生に声をかけところ、「えッ、誰?」
 まったくわからない様子。
 「薄情なヤツだな、辻だよ」
 「あー、辻君か」
 2年前(中学の同窓会)のB君もそうでした。小学校の同窓生はみんな薄情者です。

 口惜しいので、「こっちはSとKの3人で年に一度会ってるよ。今年も東京で会った」
 するとAの目の色が変わって、「えッ、S君、K君とか。ええなあ、東京は。仲がよくて」
 私よりSとKの存在感が大きいのもさることながら、京都の連中はなんの交流もないらしい。
 この分だと小学校の同窓会は永久に行われないと思いました。
三条通
 そうこうしているうちに幹事のT君の挨拶がはじまり、「今年は2月にN君が他界され、すでに43人の同窓生が鬼籍に入られました。そこで……」まずは黙祷からはじまりました。
 となりの席にMO君がいたので、「高校の集まりが悪いのはどういうわけだ」
 MO君は「中学まではクラス一体だけど、高校になると教科によって生徒がバラバラになるから、関係が希薄になるのではないか」
 「うーん、それもあるけど、卒業後の環境の急激な変化もあるのではないか。オレの場合はコンプレックスや。東京行って、京都はもう捨てたつもりやった」
 すると遅れて入ってきたKAが「辻が京都を捨てた本当の理由はこれや」と小指を出しました。
 「こらッ、よけいなことをいうな」
 私は強制的にその話題を打ち切りました。
 出席者名簿にSIとあったので、その人物に声をかけました。
 彼は高一のクラスで最初に仲よくなった人物です。大原から通学してました。
 昼食のとき、彼の弁当を見るとご飯の上に茄子の柴漬けが丸っぽドーンと乗っており、彼はそれをかじっていました。
 「なるほど、これが大原流か」と感心したものです。
 彼にそのことをいうと、「なんや、そんなとこ見とったんか」(笑)

 彼は北陸の放送局に勤め、転勤で東京六本木に17年間住んでいたそうです。
 「六本木は特殊な場所やったな。ひと晩中明りが煌々と点いとる。まるで不夜城や」
 「そうそう。街往く女人は美人ばっかりやし」
 「そやったな。わしは会社の金でよう遊んだ。あんな面白いことなかったな」
 「そんな景気よかったんか、放送局は。オレなんか撮影費の名目で1、2回飲んだだけだよ。あとはゲイバーの取材や」
 「そや、ゲイバーも仰山あった」
 しばし六本木談義で盛り上がりました。
 「なんや、キミとは話が合いそうやな。東京の話はまた今度……」
 「じゃあな」
 軽く会釈してその場を離れました。
河原町通り夜景  
 「骨折にもめげず、ご苦労さまです」
 幹事のT君にも声をかけました。
 彼は昨年右膝のお皿を割り、左肩肩板断裂を起こしました。私と同じ骨折仲間です。
 「肩のほうはほとんど治ったけど、膝はまだ少し痛みがね」

 彼にはぜひ伝えたいことがありました。
 それはアメリカの心理学者の臨床実験です。
 その実験は、年配の男性数名を昔風の家具や装飾の部屋に合宿させ、常に若いころのポップスなどを聴かせたところ、脳の働きや身体能力が上がり、身長や指の長さが伸びたというものです。
 これは昔のことを思い出すことによって脳が活性化され、それが身体の機能にいい結果をもたらすと考えられています。(ディーパック・チョプラ「エイジレス革命」講談社

 同窓会の幹事が若々しいわけは、その功徳を受けているからだ、と。(参照
 「これはええこと聞いた。これからも頑張るわ」とT君。
 それを聞いて安心しました。
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