私の入院生活は本当に楽しいものでした。
 環境はいいし、食事もいい。医師、看護士、療法士、みんな親切でいい人ばかり。
 なによりも患者同士の人間関係に恵まれていました。
 913号に移ってからは、ヤクザ男、お調子者、Oさん、Kさん、それに骨折ライバルのN氏、さらにラウンジではコルセット三姉妹(I子、H子、Y子)とS君。
 それ以外にも歩行訓練仲間やラウンジで談笑した人、また患者を面会にきた家族の人たち……数え上げれば限がありません。

 息子からは「同室の人と仲よくしてね」と釘を刺された私ですが、この交流ぶりを見れば息子も「よくやった」と認めてくれるに違いありません。
 私はこれまでひとり気ままに生きてきましたが、これで集団生活にも順応できる自信がつきました。
 病室の窓
 「みんな出ちゃうから寂しくなるわ」とY子。
 31日に出るのは私だけではなく、H子、S君(ともに午前中)、私は午後4時の予定です。 
 Y子は6月23日から入院しているのですが、いちばんの重症患者で、ようやく少し歩けたという状態。 いちばん早く入院して、いちばん遅く退院することになります。

 私も歩行がままならず、300歩ほど歩いただけで左くるぶしが痛くなり、足が腫れ上がる状態です。
 これではひび割れた距骨が本当に繋がっているのか? と疑わしくなりますが、療法士の話では、
 「原因は距骨ではなく、左足がまだ弱いから痛みが出るのです」
 とのことで、解消法としては各部分を鍛えるしかありません。
 さて、泣いても笑っても8月31日(土)、最後の日。
 この日のリハビリは10時から、午前午後(肩と足)の分をぶっ通しで行われました。
 ふつうに歩くとくるぶしが痛くなるので、「当分はつま先で地面を蹴らないように」とウルトラC(?)が発令されました。「変則的な歩き方ですが、今後のリハビリでいくらでも矯正できます」
 なるほど、そういう手もあるのか。
病室から見た秩父連山
 「これからリハビリ行くけど、もしお兄さんが出るとき、まだリハビリやってたら、リハビリ室にきてね」
 午後3時ごろ、1階の会計で入院費の清算を済ませて9階のラウンジにもどってきたら、Y子にこういわれました。(リハビリ中、挨拶もせずに私に出て行かれたくないようです)

 「道が混んでいて、着くのが4時を過ぎると思う」
 3時50分、息子からの連絡。週末の川越街道は混むから、これは仕方がない。

 それでも息子は4時20分にきてくれました。
 荷づくりはできているので、すぐ発てます。しかし、その前に……。
 「Oさん、今日で退院です。Oさんは今は辛いけど、必ずよくなります。リハビリ室で会えることを祈っています」
 「Kさん、リハビリできるようになってよかったね。歩くのはもう少しです。頑張ってください」
 同室の圧迫骨折のふたりに最後の挨拶をしました。
 そして最も仲のよかったN氏……。
 「お世話になりました。これで退院です」と、ふつうにいえばよかったのですが、「Nさんが向かいにきてくれたおかげで、私の入院生活は楽しいものになりまし……」
 いおうとして、ウルッときそうになりました。ヤバいヤバい。

 そしてY子に電話。彼女は部屋にもどってました。「これからラウンジに行く」
 Y子の部屋は西端にあります。まだ歩行もままならないのに、そこからバタバタと駆けてくるY子を見て、またしてもウルッ。(いかん、年とともに涙腺がもろくなっている)

 「いよいよ、退院だ」
 「よかったね。またリハビリで会いましょう」
 「うん」
病院の前面
 エレベーターの前で、看護婦さんに手首の入院患者識別バンドを切ってもらい、Y子と数人の看護婦さんに見送られ、「いろいろお世話になりました」と挨拶して別れました。
 外に出ると、ムワーッとした熱気にクラクラッ。(これが下界の暑さか)
 「その前の道を通ってくれ」
 私の要望で、車は駐車場から病院の前の道路をゆっくりと通過しました。
 「なんだか『自由からの逃走』みたいだなあ」(参照
 そういうと、ハンドルを握っていた息子が笑いました。
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