今回の入院で、私は無意識状態を体験しました。それは手術時の全身麻酔です。
 どういうものかというと、鼻と口に大きなマスクをあてがわれ、深く息を吸い込み、ベンゼン系の揮発性のガスを吸い込んでいるうちに意識がなくなりました。
 気がついたら手術は終ったあと。肩の傷口は縫われ、金属の棒が入っている。
 その間私は無意識状態だったわけです。

 これは睡眠とはまったく違うもの。
 睡眠ならどんなに熟睡していても、騒音で目が覚めます。実際私は入院当初同室のジジイのわめき声で目を覚まされました。また地震の揺れで目を覚まされたこともあります。
 睡眠といっても五感は働いており、外からの刺激を感知するのです。

 ところが無意識状態というのは、五感はまったく働いてない。
 肩の皮と肉をざっくり切られ、骨を出されてその内部に金属の支柱を入れられ、数ヵ所ボルトで固定され、それを元にもどされ、傷口を縫い合わされる……想像するだけでも大変な痛みです。
 しかし私はこれをまったく感じてないのです。

 これは端的にいえば、仮死状態。もっといえば脳死ではないのか?
病室からの光景
 泉鏡花の小説に「外科室」という作品があります。
 これはある高貴な夫人が手術の際、麻酔をかけられたら、自分の秘密をうわごとで喋ることを恐れて麻酔を拒否。主治医も(わけありで)麻酔なしで執刀。夫人は痛みのあまり絶命するという内容ですが、こんなことは、あり得ません。
 全身麻酔なら、意識がないので秘密など口走るわけがない。だいいち喉の筋肉が動かないのだから、うわごとなど喋れない。執刀医ならそれぐらいのことはわかっていて、夫人に説得するはす。
 というわけで、この小説はすべてうそっぱちであることがわかりました。

 さらにいうと、無意識状態とは死である。

 よく交通事故などで「意識不明の重体」などと、意識のある、なしを問題にしますが、「意識がない」というのは半分死んだも同然ということなのです。

 無意識状態では何もわからない。つまり思考もないわけです。
 デカルトの「我思う、故に我あり」でいえば、「私」は存在していないことになります。
 つまり「私」は完全に死んでいる。
 
 麻酔が覚めて、私は無事生還しましたが、これがもしもどらなかったら……。
 心臓は動き、呼吸はしていても、意識がなければ死んだも同じ。
 意識がもどる可能性のない「脳死」なら、それは人の死である。
 もし私がそうなったら、徒な延命措置はやめてもらいたい、と思うようになりました。
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