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 走水神社は走水のメッカともいわれるところで、いい伝えに拠れば、日本武尊(やまとたける)が東征の際、当地に立ち寄り、自ら与えた冠を村人がここに埋めて社を建てたのが始まりとされています。

走水神社・一之鳥居 

 日本武尊は二之鳥居から石段を上った拝殿に祀られています。

走水神社・二之鳥居 

 日本武尊は御所ヶ崎(07/17UP)から上総国へ船出したものの、海上で暴風雨に遭い、妻の弟橘媛命(おとたちばなひめ)が海へ身を投じて暴風雨を鎮めたとされています。
 数日後海岸に弟橘媛命の櫛が流れ着き、村人はそこに社(橘神社)を建て櫛を納めましたが、明治18年(1885)御所ヶ崎が軍用地となったため、走水神社境内に移されました。

走水神社・拝殿 

 したがってここは弟橘媛命を偲ぶ碑が多いのが特徴。
 これは「舵の碑」
 弟橘媛命顕彰と海の安全と平和を祈る碑です。

舵の碑 

 銅板に彫られているのは弟橘媛命のレリーフ。なんで包丁が? と思ったけど、これは船の舵だそうです。
         

 走水神社拝殿の上に弟橘媛命の記念碑が建てられています。

弟橘媛命の記念碑 

 さねさし さがむのをぬにもゆるひの 
 ほなかにたちて とひしきみはも
  勲一等昌子内親王書
      

 「さねさし……」のことばは、荒れ狂う海を鎮めるため弟橘媛命が吟じられた最後の歌。
 意味は「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい」とのことです。(走水神社HP)
       

 弟橘媛命が海に身を投じられたため、海は静まり、日本武尊一行の船は水の上を走るように上総国に渡ることができたので、水走る走水といわれているとか。(諸説あり)
      

 境内にある手水舎。
 由緒書きにはこうあります。
 「深さ30mより湧き出ている真水です。富士山より永い歳月を掛け、この辺一帯に湧き出ていると言い伝わっています。その昔、走水は宿場町として栄え、船に積む飲料水に利用されていました」

走水神社・手水舎 

 地理的に見て「富士山から~」というのは眉唾としても、ここでも水がほとばしるように出たので走水という地名になったとの伝説。「ヴェルニーの水」(07/15UP)と同様、ありがたい水には違いない。
      

 さらに「御砂倉」の砂。
 これは弟橘媛命の櫛が流れ着いた御所ヶ崎の浜の砂。

御砂倉を開けると… 

 厄除けのお守りとのことで、戴いてきました。ありがたや。

戴いてきた御砂 

 余談ですが、この弟橘媛命伝説は湯島(東京都文京区)の「妻恋神社」でも見かけました。(02/20UP)どうやらここは日本武尊東征の帰りに建てられたもののようです。
       

 帰りも日本武尊は亡き弟橘媛命を偲び、「あ~吾が妻よ」と嘆かれたため、東国を東(吾妻)「あずま」と呼ぶようになったとか。
 いずれにせよその発端は走水。こんな伝説があったとは。

     

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