横須賀市大津町を歩くとあちこちに「坂本龍馬の妻・おりょうさんの街」の幟が見られます。
 それというのも、ここはおりょうさん終焉の地らしい。

京急大津駅前 

 おりょうは、龍馬が慶応3年(1867)近江屋で暗殺されてから、龍馬の実家土佐の坂本家に移り住みましたが、長続きせず、京都、大阪、東京を転々としました。
 明治になってから横浜の料亭「田中屋」で働いていたともいわれますが、詳しいことはわかっていません。

旧東海道(横浜駅近く)にある田中屋(説明板にはおりょうのことも書かれている)    

 ただ、明治8年7月2日、三浦郡豊島村深田222番地(現・米が浜通り)の西村松兵衛方に「西村ツル」として入籍し、明治39年1月15日、66年の生涯を閉じたことは事実のようです。
 おりょう(=龍子)の遺骨は当時の信楽寺(しんぎょうじ=横須賀市大津町)住職新原了雄師の御好意により、同寺に葬られました。

 信楽寺・山門  

 昨日(07/12)その信楽寺を訪ねました。
 ここは浄土宗のお寺で、本尊は阿弥陀如来。三浦地蔵尊27番札所です。

信楽寺・本堂 

 おりょうの墓は墓地のなかでも奥の少し高いところにありました。
 墓石には「贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓」とあります。

信楽寺にあるおりょうの墓 

 「贈正四位」ということは、竜馬、及び竜馬の妻が明治政府によってその功績を認められたことになります。
 本堂にはおりょうさんの位牌と月琴が祀られ、「龍馬 おりょう夫婦等身大木彫座像」も安置されているそうです。
 ここにくると、おりょうさんの話が現実味を帯びてきます。

    

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