三笠公園のモニュメントをしげしげと眺めた30分後、私は猿島に向かう船に乗っておりました。

船より見る猿島   

 私はこの猿島とは浅からぬ因縁があります。
 それは5年前(2013年)に遡りますが、猿島に渡るつもりで7月5日朝、三笠桟橋に行ったものの雨で欠航になり、急遽予定を変更して京急で馬堀海岸まで行き、そこから海岸線を走水→観音崎(灯台も)→鴨居漁港→浦賀まで歩きました。
 これはこれで面白かったのですが、その3日後(8日)骨折事故を起こし、手術とギプスで2ヵ月の入院生活を余儀なくされました。そのため猿島は断念。これが何とも口惜しい。
      
 医師からは「元のような生活はできないよ」といわれたのですが、「何としても猿島に渡りたい」一心でリハビリに励みました。
 リハビリは12月に打ち切られましたが、足はそのころから次第に回復し、ふつうに歩けるようになりました。(それでも1日3万歩以上歩くと古傷が痛みますが)

切り通し(兵舎など) 

 そして翌年(2014年)の6月19日、念願の猿島に上陸しました。
 まだ6月だったこともあって乗船客は7~8人(定員200人)。ちょっと拍子抜けしましたが、ひとりで島内を散策し、じゅうぶん楽しみました。
 極端にいえばリハビリの動機づけは猿島にあったわけで、いわば回復の恩人(島?)。上陸することで恩返しができたというわけです。

切り通し(弾薬庫など) 

 その後、猿島に関しては三笠公園やうみかぜ公園などから眺めるだけでしたが、この日(05/11)はなぜかもう一度行きたくなり、(衝動的に?)切符を買っていました。
 「この際、裏を返してやろう」(花柳界の用語です)

レンガ造りのトンネル

 以上、説明が長くなりましたが、その猿島。
 前回に比べると人が多い。総数100人ぐらい。
 なかに7~8人の老人グループもいて、ガイドの人もいます。
 「これは心強い」と思ったのですが、あまりにペースが遅いので、振り切りました。

トンネルの三叉路    

 ほとんど前回と同じコースを歩きました。
 ここは弘化4年(1847)に江戸幕府により国内初の台場が築かれ、明治になって陸軍省・海軍省の所管となり、猿島砲台が築かれ、兵舎や爆薬庫などの要塞施設跡がつくられました。

 それらが今、見学できるというわけです。(これらの軍事施設は実戦には使われなかったとか)

砲台跡 

 第二次世界大戦後はアメリカ軍に接収されましたが、昭和36年(1961)横須賀市に返還され、紆余曲折を経て、平成7年(1995)航路が再開され、翌年には海水浴場が再開されました。

オイモノ鼻広場から見る観音崎地区  

 「猿島」の由来は建長5年(1253)日蓮上人が房総から鎌倉へ渡る途中嵐に遭い、船の進む方向さえ危うくなったとき、どこからともなく一匹の白猿が現れ、船の舳先に立って島へ案内したという言い伝えから名づけられたそうです。(パンフレットより)
 その日蓮上人の洞窟も見られます。ただし、海に向かって急な階段を降ります。

日蓮洞窟  

 ここは縄文時代や弥生時代の土器・人骨が出土し、考古学上でも貴重な場所だそうですが、今は立ち入り禁止。4年前は入れたと記憶しているのですが。

猿島桟橋   

 この猿島、船の便は午後5時まで1時間に1本あるので、たっぷりいるのは可能ですが、1時間もいればじゅうぶん。次の船で猿島をあとにしました。

   

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/1916-f66bf81c