FC2ブログ
2018.04.27 難波田城公園

 富士見市の難波田城公園。
 難波田城は中世に活躍した難波田氏によって築かれた平城で、昭和36年埼玉県旧跡に指定され、一部を整備して平成12年に城跡公園としてオープンしました。
  

 公園は、城の掘割を復元した「城跡ゾーン」、古民家を移築復元した「古民家ゾーン」に分かれています。

城跡ゾーン(土塁と四阿) 

 城跡ゾーンは当時の遺跡や古地図から復元されたもので、水堀と土塁が見事です。

城跡ゾーン(水堀)① 

 水堀には睡蓮が咲いていました。
 いつもなら5月中旬に咲くのですが、今年は早いように思われます。

城跡ゾーン(水堀)② 

 城跡ゾーンは1~4の曲輪(郭)があり、2の曲輪(内)と3の曲輪(外)の間には復元木橋がかかっています。

外の曲輪から見た復元木橋 

 この橋は外側は広く、内側は狭くなっており、外から入る敵に対し遠近感を狂わせる効果を狙ったものといわれています。

城跡ゾーン(左は菖蒲田) 

 難波田城は何度も攻め落とされ、城主も難波田氏→上田氏→太田氏に代わりましたが、北条方であったため、秀吉の小田原征伐によって滅び、廃城となりました。
       

 その一画に立ち入り禁止の竹藪がありました。
 これは「十玉院墓地」といって、中世に栄えた修験道寺院。戦国時代に一時衰えたものの、江戸時代前期、幕府の許可を得て難波田氏の末裔が城跡に再建したものです。

十玉院墓地   

 この墓塔は十玉院代々の院主やその関係者のものですが、明治5年(1872)の修験道廃止冷によって廃寺となりました。(説明板)
 そんな寺院があったなんて初めて知りました。
         

 古民家ゾーンの旧金子住宅。
 これは市内水子に建てられていた民家を移築・復元したもの。

旧金子住宅 

 座敷内には五月節供の武者人形が飾られていました。

武者人形 

 この住宅は農業のかたわら油商を営んでいたため、商家の造りも併せ持っているとのこと。
 なかなかりっぱな屋敷です。

       

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/1899-a6ef820a