京阪電車で京都に向かう際、始発の淀屋橋駅で駅員さんにこう尋ねました。
「中書島の手前で途中下車して、ちょっと興味深い景観の駅がありますか?」
「興味深いとは?」
「そうですね。レトロな街並みとか」
駅員さんはしばらく考えて、
「それなら橋本駅はどうでしょうか。ここは昔遊郭があったところで、今でもそれらしい家が残ってますよ」
「えッ、遊郭跡が?」
「でも東京の吉原などのようにきちんと保存されているわけではありませんよ。観光地でもないし」
駅員さんの話を聞いて、橋本駅で降りました。
駅は特急停車駅・樟葉(枚方市=大阪府)のとなり、各停しかとまらない駅です。
なんだ、この寂れようは。
淀屋橋の駅員さんの話では「遊郭跡は川側」というので、西口から出たのですが、駅員さんもおらず、ほとんど人気はなし。まるでゴーストタウン。
それでも川方向に歩きました。なるほど、これか。
所どころ古い家が残っていて、よく見ると遊郭らしい(?)造りになっています。
さらに見ると、ほとんどの建物がそのまま個人の住宅として使われています。たとえばこの欄間の飾りの立派な家。
なかには旅館(ラブホテル?)を営んでいる建物もあります。
町名の表記を見ると「八幡市橋本中ノ町」とあります。するとここは京都府?
大谷川を渡り、淀川沿った府道13号線から見ると、旧遊郭の建物がよく見えます。
あとで調べると、ここは昔から京街道の遊郭として賑わっていたため、歌舞伎の舞台になり、また幕末には勤王の志士や新撰組も仲良く遊んでいたそうです。
明治になってからも昭和33年(1958)売春防止法が施行されるまで、京阪・橋本駅は大勢の遊客で賑わったといいます。
ふーむ、京都の端っこにこんなディープなところがあったのか。
京都出身でありながら、今ごろ気づくとは。
改めて淀屋橋の駅員さんに感謝です。
あの防止法が出来る前は賑わっていたのでしょうかね。
不思議に思うのは勤王の志士や新撰組の方々はお金はどう工面されていたのでしょうね。