川越の菓子屋横丁は誰でも知っている観光地ですが、その周囲にはあまり知られてない寺社がたくさんあります。
  

 菓子屋横丁の西にある見立寺(けんりゅうじ)川越七福神の布袋様の寺院です。
 境内に入ると我われを迎えてくれるのが「旅立ちの法然さま」

見立寺・入口   

 美作国(岡山県)の武家に生まれた勢至丸は9歳のとき、土地争いで夜襲を受け父を失いますが、父の遺言「決して敵を討つなかれ。出家して悟りの道に進め」を守り、4年間岡山で修業し、京の比叡山へ旅立ちました。そのときのお姿だそうです。
 聡明で凛々しいそのお姿は当方の13歳当時にそっくり。(誰だ、遊び呆けてヘラヘラしてた、というヤツは)

法然さま・13歳当時のお姿   

 同寺の由緒はちょっとややこしいのでざっくり説明すると、建立は永禄1年(1558)。当初は建立寺と名づけられたが、のちに見立寺と改めた。
 その後、蓮馨寺が門前に移ってきて、存貞和尚が両寺を兼務した時代もあったが、その後、見立寺がここに移転してきた(年代、経緯は不詳)とのこと。
 何度も火災に遭い、そのたび再建され、現本堂は明治14年(1881)に建立されたもの。

見立寺・本堂 

 ふーむ、昔は蓮馨寺の門前にあったのか。
  

 ここは布袋様のお寺であり、お堂には布袋孫が祀られています。

布袋様 

 またここには赤穂浪士の一員・矢頭右衛門七(やとう・えもしち)の妹の墓があります。
 妹はのちに白川藩(福島県)の多賀谷家に嫁ぎ、藩主の国替えに伴い上州厩橋(群馬県)→川越に移住し、翌年死去。推定70代。

多加谷家の墓 「矢頭右衛門七の妹ここに眠る」の説明碑

 矢頭右衛門七は討ち入り当時17歳、その妹までがのちにこんなに脚光を浴びようとは。
 当人はおそらくひっそりと暮らしていたけど、後世の人が戸籍などから世に出したのではないか。
 忠臣蔵マニアにとっては欠かせないところなのか。

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