海岸通りと大さん橋通りが交差するところにある開港広場。
 ここは安政元年(1854)幕府とアメリカ(マシュー・ガルブレイス・ペリー提督)との間で日米和親条約が締結された地として有名な場所です。

開港資料館・入口   

 当時の絵によると、日本の武士とアメリカの水兵が整列して警護に当たっている中央で、両代表が会談しています。
 今はその当時の面影はなく、地面は石畳で、広場の中央部には噴水(今は工事中)があり、それを囲むようにステンレスの鏡の柱が設置され、不思議な空間をかもし出しています。
 この日は数人の画家(?)が熱心に絵筆を走らせていました。

開港広場   

 塀際に置かれている大砲は、外国人居留地90番地にあったスイスの商社が扱っていたもので、1959年に同社社屋の基礎工事中に発見されたもの。

旧居留地90番地の大砲   

 開港資料館の中庭にあるある玉楠(たまくす)の木は、和親条約締結の絵画に描かれていた木の二代目(当時の木は関東大震災で焼失)。今では横浜開港のシンボルになっています。

玉楠の木   

 記念館のホール(無料)には幕末の横浜市街の地図が展示されています。
 それによると、この開港資料館の前身は異人コンシェル(外国領事館)。のちに英国領事館になります。

記念ホール   

 また中庭には日本最初の近代水道となった横浜水道の共有栓の遺構が展示されています。
 当時は家庭内に蛇口を引く例は少なく、路頭の共有栓から水を引くのが一般的的だったそうです。

獅子頭共有栓とブラフ溝    

 開港広場のとなりには日本初のプロテスタント教会「横浜海岸教会」があります。
 この教会は以前「聖書を読んだサムライたち」でも取り上げましたが、元京都見回り組の剣の遣い手で坂本龍馬を暗殺した(?)今井信郎が明治になってクリスチャンに改宗するきっかけになった教会とされています。

横浜海岸教会   

 こうしてみると、この開港広場は否が応でも横浜開港の歴史を感じさせるところです。
  
 春どなり玉楠に陽の溜まりをり
         

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