紅葉坂をさらに進むと横浜駅根岸道路に出ます。通称・横浜道。
  

 横浜港が開港した当時、港へ行くには神奈川から船に乗って行くか、陸路なら程ヶ谷宿→井土ヶ谷を迂回するしかなかったので、幕府は神奈川と横浜を最短距離で結ぶ道の必要性に迫られ、芝生村(浅間町)→元平沼橋→戸部村から野毛山を切り通し、太田橋(吉田橋)から関内に入る道をつくりました。これが横浜道です。

横浜道   

 20年ほど前、戸部から野毛坂交差点まで歩いたことがありますが、何の特徴もない道で車がビュンビュン行き交い、しかも急な上り坂(野毛あたりで下り)、足がヘロヘロになりました。
 そのとき「たしかにここは山だった」と実感しました。
 両側の切り通しがそれを物語っています。

野毛山住宅・亀甲積擁壁   

 横浜道の切り通しの側面は石垣によって支えられていますが、これは鎌倉をはじめどこの切り通しも同じ。
 なかでも野毛坂交差点の「野毛山住宅・亀甲積擁壁」は六角形の石が整然と積み上げられ、見た目に美しい。これは市認定歴史的建造物になっています。なるほど。

野毛山公園道   

 その角を曲がって坂を上ると野毛山公園。
 この一帯はかつて原善三郎や茂木惣兵衛などの豪商の邸宅がありましたが、関東大震災によって壊滅、その後の復興事業として公園が整備されました。

野毛山公園   

 ここに中村汀女の句碑があります。
  

 蕗のたうおもひおもひの夕汽笛

中村汀女・句碑    

 中村汀女(1900~1988)は、夫が大蔵省官吏だった関係で昭和5年(1930)から西戸部町の税関官舎に住んでいて、横浜にはなじみのある俳人とのこと。
 なるほど。「おもひおもひの夕汽笛」というのがいかにも横浜らしい。
  

 ここにはいろんな記念碑があり、他にはラジオの聴取契約者が100万人を越えた記念に建てられたラジオ塔(昭和7年=1932)や、明治維新の陰の立役者で横浜にもなじみの深い佐久間象山の顕彰碑もあります。

ラジオ塔 佐久間象山・顕彰碑   

 野毛山公園は戦後米軍に接収されましたが、米軍撤収後は動物園や児童遊園がつくられました。
 ここを歩くだけでも横浜の歴史がわかる。うーん、深い。

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