野々宮神社からさらに奥に入ったところに堀兼神社があります。
 奥にあるせいか、さすがに地味なたたずまいですが……。

堀兼神社・鳥居  

 境内の説明書きにはこうあります。
 「当社の祭神は木花咲耶姫命で合祀神として大山昨命ほか五神を祀る。社伝によると、景行天皇の40年に日本武尊が東北の蝦夷征伐の帰途、この地に立ち寄ったところ、土地の人々が旱害に苦しんでいるのを見て、富士山に祈願したら、たちまち清水が湧き出した。そこで土地の人々がこのゆかりの地に浅間神社を創建したのが始まりという。……(略)……明治維新後は堀兼井浅間神社と称していたが、明治40~42年にかけて村内の神社12社を合祀し、社名を現在のものに改称した」」
  

 ここも日本武尊がきて井戸を掘ったら水が出た、という意味では野々宮神社(七曲井?)と同じ。富士山信仰が違うのか。
  

 どうやらこのあたりは昔から水に困っていたらしい。
 冬になると涸れてしまう川を「としとらず川」と呼んだのは、住民の精いっぱいのヤセ我慢?
  

 朱塗りの随身門はなかなか立派。市指定文化財だそうです。

随身門   

 くぐると拝殿に上る石段があります。ははァ、富士山信仰ということで、拝殿は小高いところにあるのだな。

拝殿への石段   

 拝殿。地味なところが素晴らしい。

 拝殿   

 御神木のバラモミの木。県の天然記念物。

 御神木  

 よくわからんけど、根元には意味ありげなこぶこぶが。

御神木の根元    

 境内には「堀兼の井戸」があります。

 堀兼井①   

 ほほう、これが。残念ながら涸れております。
 涸れると年をとらないから、としとらず井戸。まさか。

堀兼井②   

 堀兼井に関しては古来より数々の歌人が歌を詠んでいます。
  

 武蔵野の堀兼の井もあるものを うれしく水のちかずけにけり    藤原俊成
 はるばると思ひこそやれ武蔵野の ほりかねの井に野寺あるてふ   紀貫之
 浅からず思へばこそはほのめかせ 堀兼の井のつつましき身を    藤原俊頼
 くみてしる人もありなん自ずから 堀兼の井の底のこころを     西行
 いまはわれ浅き心をわすれみず いつ堀兼の井筒なるらん      慈円
 おもかげぞかたるに残る武蔵野や 堀兼の井に水はなけれど     道興准后
  

 ただし、この井戸であるかどうかは不明。
  歌の鑑賞、解釈はそれぞれで。

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