不動坂交差点から旧道沿いに進むと、古いれんが造りの土蔵がありました。
 「横浜旧東海道・みち散歩」には「鎌倉ハム発祥の地」とされています。
 「ここが鎌倉ハムの?」との疑問に駆られますが、一応そのようになっています。

 レンガ造りの倉庫

 その先を進むと舞岡川にぶつかりますが、そこを右折すると国道1号と合流します。
 舞岡川に架かる橋が五太夫橋(ごだゆうばし)。

五大夫橋   

 「五太夫とは小田原北条氏の家臣、石巻康敬のこと。彼は豊臣秀吉の小田原攻めのとき北条方の使者で、北条氏滅亡後、鎌倉郡中田村で謹慎していたが、天正18年(1590)江戸に入る徳川家康をこのあたりで出迎えたところから、五太夫橋の名がついた」(説明書き)

 そこからしばらく歩くと宝蔵院があります。
 「真言宗のお寺で天文16年(1547)に阿闍梨朝興法印が東峰山光圓寺として中興し、本堂を宝蔵院と称しその後は現在地へ移転しました。本尊は不動明王で境内には地蔵堂、日本舞踊芸道精進の扇塚などの石造物があります」(説明書き)

法蔵院・地蔵堂    

  お地蔵さんが多いのが印象に残りました。
  

 このあたりは旧東海道を示すものが多少はあって、宝蔵院の斜め向いには「江戸方見付跡」の碑があります。
 「見付とは宿場の出入り口のことで、ここは戸塚宿の江戸側の出入り口。 旧東海道の宿場に設けられた見付は、宿場を見渡しやすいような施設となっていることが多い。参勤交代の大名らを、宿役人がここで出迎えた」(説明書き)

 江戸方見附跡  

 同様に戸塚宿の上方(京)側にも「上方見附跡」があります。
 旅人は宿場に出入りするのも役人に監視されていた。今でいう監視カメラのようなもの?
  

 その斜め向かいに「旧東海道・吉田一里塚跡」の標柱があります。
 「江戸から10番目の一里塚で、日本橋から約40km。昔は、これだけの距離を一日で歩いており、旅籠のある戸塚の町まで、大橋を渡ってあともう一息といった場所です」(説明書き)
 この一里塚は明治に入り、早い時期に取り壊されたとのこと。

吉田一里塚 

 そのとなりにステンレス製の「戸塚一里塚跡」の説明版があり、同様のことが書かれています。
 その理由は、この場所自体は吉田村(現在は吉田町)、しかし戸塚宿の領域なので、吉田、戸塚、どちらでも呼ばれていたのではないか。

 一里塚を過ぎてしばらくすると、吉田大橋に出ます。
 昔の東海道五十三次の絵図には吉田橋が描かれています。「こめや」は旅籠屋。

 吉田大橋  

 戸塚宿は東海道では宿場の長さが最も長く、約2200mもあったとか。
 江戸から約42km、1日歩いて宿泊するにはちょうどよい距離で、ここで宿をとる旅人は多かったと考えられます。

戸塚宿の昔絵   

 大橋を渡ると戸塚駅。
 旧東海道(国道1号)はその手前の踏切を渡ったのですが、その昔、大磯から東京に通う吉田茂首相(当時)が開かずの踏切に腹を立て、迂回路(昨日不動坂で述べたもう一本の国道1号)を建設させたという問題の戸塚大踏切です。

戸塚大踏切デッキ  

 しかし今その踏切は廃止され、車はトンネルをくぐり、歩行者は「戸塚大踏切デッキ」を渡ります。完成したのは2014年1月。
 デッキのなかほどには「旧東海道宿場町」の表示がありました。

 デッキの上  

 私は横浜の旧東海道に興味があり、「横浜旧東海道・みち散歩」を片手に所どころ継ぎ足しで歩いてみたけど、今回は権太坂以外、あまり面白くなかった。
 もっとも天王町~戸塚(約10km)をぶっ通しで歩く(途中昼食のため東戸塚にも寄った)という、年寄りには過酷(?)なコース取りが原因だったのかもしれません。

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/1406-2567074b