(11/30・権太坂の続き)
 富士山が見られて、当方はやや浮かれた気分。
 「富士山が見えたよ!」
 道行く女高生などについ話しかけたくなりますが、彼女たちはもう見慣れていて、富士山など見向きもしない。それに下手に話しかけると、「怪しいジジイ」と思われかねない。
  

 しばらく平坦な道を歩くと、境木(さかいぎ)のT字路に突き当たります。
 近くに「投込塚之跡」があります。
 石碑の説明によると、「ここは交通の難所で行き倒れた旅人を埋葬したところで、権太坂投込塚と呼ばれていた」とのこと。

投込塚の碑   

 行き倒れた人は多かったらしく、いかにこの坂が難所であったかがわかります。
  

 そこから500mほど西に行くと木の道標が立っています。武蔵国境モニュメント。
 ここは武蔵国と、相模国の国境。「だからこのあたりを境木というのか」

境木地蔵の石段 

 この上に境木地蔵があります。

 この地蔵は昔鎌倉腰越の海岸に流れ着いた像を江戸に運ぶ途中、この辺で動かなくなったのでここに祀ったといいます。堂が建立されたのは、万治2年(1659年)。

地蔵堂 

 ちょっと変わった手水鉢。これは江戸の吉原の寄進によるものだそうです。

 手洗い鉢

 その向かいに境木立場(たてば)跡。
 「立場とは、宿場間に馬子や人足の休息のために設けられたもので、なかでもここは西に富士山、東に江戸湾を望む景観が素晴らしく、旅人が必ず足をとめる名所でした」(説明書き)
 といわれても、目の前にマンションが建っていて、眺望など望むべきもない。

境木立場跡   

 またここは茶店があって、牡丹餅が名物であったとも書かれています。

当時の境木立場の風景図 

 このあたりは権太坂の頂上で、あとは下り坂。
 焼餅坂といって、けっこう急な坂です。

焼餅坂 

 坂の名の由来は、この坂の茶店で焼餅を商っていたとのこと。
 牡丹餅といい、焼餅といい、昔の旅人は餅を食ってエネルギーにしていたらしい。

焼餅坂の風景図 

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