近鉄・桃山御陵駅から東へ200mほどのところに「御香宮神社」があります。
 伝承によると、貞観4年(862)に社殿を修造した際、境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので、ときの清和天皇から「御香宮」の名を賜ったといいます。

御香宮神社・境内     

 この水は「御香水」として名水百選に選定されています。
 そのためボトルを持参して取水する人があとを絶たない。

 ペットボトルで取水する人  

 なお廃城になった伏見城の大手門は当社の表門に移築されたとか。
 この日は「神幸祭」ということで参道に屋台が出て、賑わっていました。

御香宮神社の表門    

 威勢のいい神輿が出て、男たちの活気づくこと。

神輿を担ぐ人たち    

 御香宮といえば、「鳥羽・伏見の戦い」明治元年(1868年)では、ここが官軍(薩摩藩)の陣地となり、ここから南へ300mの伏見奉行所に立てこもった会津藩・新選組と対峙しました。
 司馬遼太郎「燃えよ剣」にもこの場面が出てきます。
 しかし大砲や鉄砲などの飛び道具では官軍が圧倒的に優位だったため、伏見奉行所は炎上、旧幕派は壊滅状態になりました。
 御香宮神社は無事。当然でしょう。

参道   

 *

 そこから近鉄、京阪の線路を横切ると「大手筋商店街」。

大手筋商店街・入口   

 この商店街は京阪・伏見桃山駅から西に延び、幅8m、長さ400m。
 伏見では一、二を争う活気ある商店街で、日本で初めて太陽光発電パネルが設置され、アーケードの照明に利用されているとか。
   

 この大手筋は秀吉が文禄3年(1594)建築した伏見城の大手門が西に伸びて(実際は少し曲がっている)つくられたもの。そのため当時から大手筋通りと呼ばれていた、歴史のある商店街。

 銀座発祥の碑   

 銀座通りとの交差点の角に「此付近伏見銀座跡」の石碑が建てられています。
 実はここ、家康が関ヶ原の合戦に勝利した翌年の慶長6年(1601)、日本で初めて銀貨鋳造発行所をつくらせたところで、伏見銀座と呼ばれていました。
 銀座はのちに京都→江戸、大阪に移り、伏見銀座は廃止されますが、ここが銀座発祥の地とのことです。
   

 大手筋は東から、1番街~4番街の名前がついています。
 この日は御香宮の神輿が何組も通過しました。

大手筋商店街    

 西端から南に向かう小路は「納屋町五番街」と呼ばれ、大手筋とは異なる雰囲気があります。

納屋町5番街   

 さらに南下すると坂本龍馬が常宿にしていた「寺田屋」があったので、「竜馬通り」と名づけられた商店街もあります。ただし現在の「寺田屋」は明治になって新たに建てられたもの。

竜馬通り  

 その一角に昔ながらの商店があり、往時を偲ばせます。

古い商家 

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