長浦港にやってきました。
 ここは天然の地形に恵まれているため、明治から太平洋戦争終結(昭和20年)まで軍港として使用されてきました。

 長浦港   

 現在では海上自衛隊の艦船が停泊しています。

 停泊する自衛艦   

 またここは旧海軍工廠(こうしょう)造兵部のあったところ。
 海軍工廠とは、艦船、航空機、各種兵器、弾薬などを開発・製造する海軍直営の軍需工場のこと。今は民間の工場になっていて入ることはできませんが、それでも外からその様相を見ることができます。これは(↘)旧機銃工場(昭和9年築)

旧機銃工場   

 また横須賀には明治初期より海軍兵学校(のちに機関学校)や海軍水雷学校も設けられ、士官を目指す若者が集められました。
  

 これについて、塚山公園の見晴し台で出会ったおじさんにいわせると、
 「むろん優秀な生徒は出世していったけど、なかには『泳げない』『船に弱い』という不適格者もいますわな。そんな生徒に関して教官は情け容赦なくしごいたものだから、耐えられずトンネルの上から軍用鉄道(今のJR横須賀線)に飛び込む若者があとを絶たなかったそうだよ」
 「自殺ですか?」
 「そう、ほとんどが士族の出身で、郷里から期待されて送り出されているから、帰るに帰れないんだよ」
 「悲惨ですね」
 「そうだよ。こんな話は地元の人ならみんな知ってるよ」

旧海軍軍需部長浦倉庫    

 横須賀市の広報やWebで海軍兵学校・海軍水雷学校のことを調べてみても、「自殺者が続出した」なんて記述はどこにもない。(当然でしょうな)
 陸軍ではなくて、海軍までも。どうやら下級兵士や劣等生に対するイジメはこの国の軍隊の伝統らしい。上層部は国民から供出された貴金属類をごっそりガメていたというのに。

 引込線    

 さてそこから田浦の海岸通りを歩いたのですが、これが自衛隊の敷地や工場に阻まれて、海の見えるところには出られない。どこが海岸通りだ。

レールの交差点   

 見るべきものは倉庫群と貨物列車の引込線跡癖籟。
 数年前までは貨物列車が走っていたらしいけど、今はまったくなし。
 それでも清掃のおじさんが線路を掃いてました。廃線になっても掃除は怠りない。立派です。

 比与宇トンネル①  

 さらに歩くと比与宇トンネル。
 これは戦前まで田浦駅構内から軍事用引込み線のトンネルでした。周囲には弾薬庫関連の施設があり、弾薬の積み降ろしはこのトンネル内で行われていました。(京急のパンフレット)
 今は廃線となり、車と歩行者が行き来しています。

比与宇トンネル② 

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://aitokodoku2.blog.fc2.com/tb.php/1338-9e131f92