2016.09.23 第三の男

 このところの長雨で徘徊は断念しておりますが、こんなときこそ映画のことを語りたい。
 といっても当欄は映画の紹介ではなく、その映画を観てどう思ったか、どんな影響を受けたかなど、個人的な関わりを述べるもので、とくに推奨はしません。結末も明かします。
    

 結末を明かすことを業界では「ネタバレ」といって避ける傾向にありますが、「結末は…(点点点)」とか「観てのお楽しみ…」では感想(評論)にならないし、表現として卑しい。
 昔の映画紹介は結末まで明かしてたけど、映画への期待が失せることは少しもなかった。

*     

 そんなことを踏まえて最初は「第三の男」(1949/イギリス)
 舞台は第二次世界大戦直後のウィーン。
 アメリカの作家ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)は旧友ハリー・ライムを訪ねてきたものの、ハリーは自動車事故で死亡したと知らされる。墓場で知り合った英国のキャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)の情報をもとに宿の管理人を訪ねると、事故の目撃者が三人いると知らされた。二人は判明したけど、三番目の男とは誰か。
 一方ハリーの元恋人で女優のアンナ(アリダ・ヴァリ)は旅券の問題で苦境に陥っていた。
 ホリーは何とか彼女の力になろうとするが、どうにもならない。途方に暮れたホリーが外に出ると、街角に怪しい人影が。車のライトに照らされたその顔を見てマーチンスはおどろく。「ハリー!」

ウィーンの夜の路地      

 しかしそのハリーは忽然と姿を消した。
 キャロウェイから、ハリーは粗悪ペニシリンを扱う闇商人で被害者は幼い子どもたちであることを知らされ、逮捕の協力を要請される。証拠を見せられ、病院を視察したマーチンスはハリーの罪状を目の当たりにし、旅券違反でソ連に捕まったアンナの釈放を取引に逮捕に協力した。
 地下の下水道を逃げるハリー。追いかけるキャロウェイ、警察、そしてマーチンス。
 追いつめられたハリーはついにマーチンスの銃弾に倒れた。
 そして今度こそ本当のハリー・ライムの埋葬が行われた日、マーチンスは「彼女の力になりたい」とアンナを墓地で待ったが、彼女は彼を無視して通り過ぎていった。

アンナ    

 あらすじを説明すると入り組んでいますが、これが短い時間に展開されていきます。
 すじだけではなく映像も鮮烈で、専門家にいわせると、光と影を効果的に使い、カメラアングルにも凝っているそうですが、私はハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の存在感とアントン・カラスのツィター演奏に負うところが大きいと思います。
   

 とくに暗闇からハリーの顔が浮かび上がる場面は最高で、あのはにかんだ、悪戯っぽい表情がたまりません。この映画の魅力はそこに尽きます。
 しかもハリーが登場するのは物語の半ばごろ。「いい役者はあとから出てくる」の典型です。

暗闇から現れたのは     

 この映画を初めて観たのは京都の浪人時代(リバイバル上映)でしたが、その後何度も観ました。息子が小6のとき、NHKの「名作劇場」で放映される前、「この映画がいかに素晴らしいか」を逐一解説したことがあります。息子はどのような思いで観ていたのか。

地下道   

 ハリーが観覧車でマーチンスに語る名セリフがあります。
 「眼下に小さな灯りがポツポツと見えるだろ。あれがひとつふたつ消えようと、金になるのなら、どうってことはない」
 「チェーザレ・ボルジアの圧政のおかげで、ルネッサンスの輝かしい文化が花開いた。一方スイスの同胞愛、平和運動はなにをもたらした? 鳩時計だよ」

観覧車にて    

 すごいセリフです。まさに悪の哲学。
 このセリフによってこの映画は単なるフィルム・ノアール(暗黒映画=日本ではギャング映画と訳されている)を超え、映画史上に残る名作になりました。
 このセリフは脚本にはなく、オーソン・ウェルズのアドリブだそうです。
 このことからしても、オーソン・ウェルズという役者はただ者ではない。
 (これも息子にいった覚えがあります)
    

 ハリーに比べるとマーチンスの何と間抜けで軽いことか。むろん彼は敢えて「狂言回し」を引き受けているのですが。

 ラストシーン    

 そして有名なラストシーン。
 並木道で待っているマーチンスをまったく無視して通り過ぎるアンナ。
 最後になってはじめてマーチンスの存在感が発揮されました。観終わっても長い間余韻の残る映画でした。
   

 ※この項は旧ブログに投稿したものを大幅に加筆してリメークしたものです。

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