飯田橋ではありませんよ、飯田町です。
 この駅は貨物の駅舎でJR飯田橋駅から急カーブで内側に曲がり、高速道路に平行する形で、貨物駅としては珍しい高架式でした。
 貨物駅なので関係者以外は入れなかったのですが、外観は今でも覚えています。

40年前の飯田橋界隈の銅板図    

 20代半ば、新宿の出版社に勤めていたころ、この近くにあった「T印刷」という活版印刷の工場へ出張校正でよく行きました。
 工場・事務所は歩くとミシミシ揺れるバラック建築で、印刷機や膨大な活字(棒)の重量に耐えられるのか、いつも不安に駆られたものです。
   

 この印刷所はその名の示すように官公庁の「〇〇白書」印刷が主な仕事でしたが、他方では週刊ベースボールや、わが社のようなエロ雑誌の印刷も手がけており、校正室はまさに呉越同舟でした。
 彼らとはあいさつする程度のつき合いでしたが、官公庁、野球雑誌、エロ雑誌…とジャンルは違い、校正のやり方も違ってましたが、お互い編集に携わる者としての気概を共有することができました。

 アイガーデンエア   

 私が出版社を離れ、フリーのライターになってからもこの印刷工場はしばらく続いていましたが、数年後取り壊されたと聞きました。

 2年前この近くを通ったとき、飯田町駅がなくなったことを知りました。
 飯田橋駅から九段に抜ける目白通りに「甲武鉄道飯田町駅」の石碑があります。

飯田町駅の石碑    

 それによると「飯田町」は旅客用の駅だったとのことで、こう解説されています。
 「明治22年(1889)、新宿-八王子間に甲武鉄道が開業し、同28年(1895)には市街線として延長され、飯田町駅が開業し現在の中央線の始発駅となりました。
 同37年(1904)わが国で初めて飯田町-中野間で電車が運転され円板型自動信号機が設置されました。その後甲武鉄道は御茶ノ水方面に延長されました。
 同39年(1906)、甲武鉄道は国有化され、昭和8年(1933)に飯田町駅は貨物専用駅となりました。この奥のホテルエドモントが旧駅構内で、改札口は小石川橋側にありました。」

 その飯田町の駅舎は、今は完全になくなり、商業施設やオフィスビル、高層住宅などが入った「アイガーデンエア」なる都市空間に生まれ変わりました。

 レールが…  

 当方にしてみれば、浦島太郎のような心境で、懐かしさも何もない。
 敷地には一部レールが敷かれているけど、うそ臭い。
 だって貨物線は高架式だったんじゃないの。

印刷所のビル   

 そして例のT印刷。
 ここは「シティタワー九●下」というオフィス、住宅、駐車場の入った30階建てのビルに変り、1階の壁には大きく「T印刷工業株式会社」の表示。(ビルの施工主でもある)

印刷所の表記が   

 あのバラック小屋の印刷所が……。
 もう、笑うしかありません。

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