何の脈絡もなく新宿(余丁町)の抜(ぬけ)弁天にやってきました。
   

 私が若いころ勤めた出版社が明治通りを挟んで花園神社の向かい側にあったので、この抜弁天の名はよく耳にしました。
 「飯田橋からくると、抜弁天から斜めの道(文化センター通り)に入るとウチだよ」
 という具合です。
 そのため、「会社から北東の方向に抜弁天と呼ばれる神社があるのだな」という漠然とした認識はありました。
 しかし、実際に抜弁天に行ったことは一度もなかった。

抜弁天    

 それが昨日(09/09)所用があって新宿へきたとき、ついでに寄ってみました。
 抜弁天は抜弁天通と曙橋からくる302号とが交差する三角地帯(副都心線東新宿駅から東へ約600mほど)にあります。
 思ったより小さい。

 北側の鳥居   

 上から見ると、三角形の北角と南角に鳥居があって、西角に祠があるという感じです。
 そして北の鳥居と南の鳥居を結ぶ参道は通り抜けられるようになっている。
 「だから抜弁天か」(それも一説)

南側の鳥居    

 この抜弁天、正しくは厳島神社といって、由来にはこうあります。
 白河天皇の御代・応徳3年(1086)鎮守府将軍・源義家公が奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み、安芸の厳島神社に勝利を祈願した。義家は奥州鎮定後その御礼に神社を建て、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀ったのが当厳島神社の始めと伝えられている。

中の鳥居と祠    

 何と、昨日の美女神社(朝霞市)と同じではないか。
 あそこにも「いちきしま」→「いつくしま」と記されていた。
   

 その厳島神社も江戸時代になると、南北に通り抜けできることと、苦難を切り抜けた由来から抜弁天として庶民から信仰され、江戸六弁天のひとつに数えられている。
  

 私の推測ですが、昔はもっと大きかったのではないか。
 それが新宿の開発によって建物がどんどんできて、神社の敷地が狭められて行った。

 手水場の龍   

 印象に残ったのは、手水の注ぎ口の龍。
 これは迫力ありました。
   

 会社勤めをしていたときは一度も行ったことなかったけど、今回初めてきて本当によかった。

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