京都の同窓会については、前もって出欠の確認をしたとき、「出席する」といっておいて、いざとなると「欠席」の返事を寄こしてきた人が6~7人(男女を問わず)いました。むろん、行こうと思っていても生憎その日は行かれない、という事情があったのかもしれない。
 それにしても、にこやかに「行く」といったギャップがありすぎるのではないか。
   

 これについて伏見の友人は「それは京都の忖度(そんたく)文化や」といいました。
 忖度とは他人の気持ちを推しはかるという意味です。
 「面と向かって聞かれたら、行きとうのうても、色よい返事をするのが京都人や。いきなり断るのは失礼や、と考えとる」
 「色よい返事をしておいて、それを平気で覆すほうが失礼やないか」
   

 「それや。本当は行きとうなかったんやけど、そこを忖度してくれ、というのや」
 「そんな忖度できるかい。さっきからお前は何を偉そうに京都人の擁護ばっかりしとるのや」
 「擁護なんかしてへん。説明してるだけや。ワシかて地方(京都以外)の人間のほうがよっぽどつき合いやすいわい」
 つい熱くなってしまいましたが、彼のいうことにも一理あります。「京の茶漬け」はまさにこの忖度文化。

 公のことに協力したがらないことについては「公家文化の名残りや」といいます。
 「公家は『よきにはからえ』いうて、音頭を取るようなことはせん。役員なんか真っ平や。人前に立ってワァワァやるのは武士のやることで、下世話なこととされてきた。そのくせ自分の意にそまない方向にいくと、陰でブチブチいいよる。これが公家の体質や」

 たしかに京都にはそういう人間が多い。してみるとあれは公家の体質?。
 私は母親から「役なんかやらんとおき」といわれましたが、親からこんなことをいわれたのは私だけではなかったと思われます。(公家意識とは笑わせるけど)

伏見の風景    

 伏見の友はさらにこんなこともいいました。
 「ワシは仕事の都合で関東にも何年か住んだけど、関東のほうが見栄っ張りで、恥や外聞を気にするのとちがうか。役員を頼まれて断りにくい、というのは一種の見栄もあるのやろ」
 「えーッ、見栄かなあ。断ると悪いような、居づらくなるような気はするけど」
 「それが見栄や。誤解するな、ええ意味でいうてんのや。ところが京都の人間にはそんな見栄はないぞ」
 「『なんやこの人、非協力的な人やなあ』と思われてもかまわんのか。その会に居づらくならんのか」
 「そこが京都や。『ああ、あの人は役員なんかやらへんお人や』ということで、許容されるのや。そういうポジションを取ったもん勝ちや」
 「ポジションって、そんなもの一種の甘えやないか」
 「そうともいえるけど、それが京都や」
  

 そういう「公家気質」がのうのうと生きられる空気が京都にあるのではないか。
 幹事も周囲もそういう人を許容している。やさしい世界ともいえる。
   

 彼にいわせると、公家には「武士道」がないだけに無節操なことも平気でできる。
 「その典型が明治維新の立役者・岩倉具視や。平気で人を裏切り、約束を反故にしとる。恥の概念がないのや」(あくまでも彼の意見です)
  

 しかし京女がそんな非協力的な人間ばかりとは思えない。中学、高校の同窓会でも協力的な女性は数多くいる。それを指摘すると、
 「はははは。それはお前、扱い方があるんや」

 *

 思えば我が小学校の同窓会も数人の女性に受付を手伝ってもらいました。
 これには取手の友の功績が大きい。
 彼は会場との打ち合わせのとき、ある女性に「顔出してくれるだけでええのや」
 「そんなこというても、なんか意見いわんならんのやろ」
 「そんなんかまへん。ただニコニコしてるだけでええ」
   

 同窓会当日も、「始まるまでボーッとしてるのも退屈やろ。よかったら受付手伝うて」
 と3人の女性に受付をやらせました。
   

 彼は私より10年以上長く京都にいたため、京女の扱い方を心得ているようです。
 どうやら真正面から依頼するより、気楽に入ったほうがいいらしい。
 彼女たちは責任を問われないとなると甲斐甲斐しく働いてくれる。伏見のヤツがいっていたのはこういうことだったのか。
   

 融通の利かない「関東人」には苦手の分野ですが。

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